中河原海岸

この海岸では第2次大戦中に爆撃され250名もの人間が戦死し、遺体を火葬しようとしたが、間に合わずそのまま埋めたと言われている。

それ以降、幼稚園児数十名が、海に引き込まれるようにして亡くなる。幼稚園児を助けようとした教諭は、もんぺを穿き防災頭巾をかぶった女たちが園児たちの足をつかんでいたと証言している。

1955年(昭和30年)には、女子生徒36名が海に引き込まれるようにして亡くなっている。助かった女子生徒の多くも、もんぺを穿き防災頭巾をかぶった女たちが園児たちの足をつかんでいたと証言してた。その後も事故が絶えず、ついに遊泳禁止となった。

橋北中学校水難事件

1955年7月28日
橋北中学校では、学校行事の一つとして毎年夏季に水泳訓練を実施しており、この日も午前10時頃一斉に海に入った。

海に入ってから僅か数分後(2分~5分程度)女子生徒100名前後の者が水泳場東北隅附近で一斉に身体の自由を失い、溺れるに至った。生徒のほかに女性教諭も溺れている

溺れた生徒の一部の救いを求める声に驚いた職員や3年生水泳部員に海水浴客が協力して懸命に救助に当たった。校長も生徒を引き連れ海に入っていたが、北に流され水泳場外で救いを求める数名の生徒に気づき、助けて上陸している。

教諭の一人が自転車で約500m離れた芸濃地区組合立隔離病舎に急を告げ、医師と看手が現場に自転車で急行、少し遅れて看護婦も到着、救い上げられた10余人にカンフル注射や人工呼吸を施した。

次いで樋口病院から自動車で医師が駆けつけ、この自動車を見た警察が初めて事故を知り、三重県立大学医学部附属病院や伊勢市の山田赤十字病院に応援を求めた。

津警察署からは救援隊が、三重県警察本部機動隊、久居の自衛隊衛生班、県庁職員も出動した。4名の漁師も舟で救援に協力した。三重県立大学医学部附属病院から院長ら医師13名、看護婦8名が到着したのは12時15分であった。

14時50分には山田赤十字病院から医師6名、看護婦10名も到着した。49名を引き揚げ、必死の手当てで13名は意識を回復したが(5時間半の人工呼吸で助かった生徒もいる)、36名は生き還らなかった。蘇生した13名は市内の病院で手当てを受けたが、うち6名は海水が多量に肺に入っていたため嚥下性肺炎を併発、28日夜重体に陥ったが29日朝危機を脱した。

女子生徒36人が溺死するという水難事故となった。

そして事故の1年後には「海の守り」女神像が建てられた。
399px-「海の守り」女神像

三重県津市高洲町17−17

  1. 2022年(令和4年)7/21(木) 日本全国 最恐心霊スポット完全ガイド

1 thoughts on “中河原海岸

  1. KKK

    まず、海岸に戦没者、空襲被害者を埋めた事実は無い。(遺体が分解されないので砂には埋めないでしょ)
    多数の女学生が離岸流により溺れ、雑誌女性自身の記者が生存者へのインタビュー記事の中で、
    「もんぺ姿の何者かに海底から足を引っ張られた」と捏造記事を書いた事がきっかけとなり、
    時を経て、空襲被害者を埋めたウソの話とくっついて心霊スポットとなる。
    生存した女学生は「海底から何者かに足を引っ張られた」とは一言も言ってないと証言されています。
    何人も溺れていますから近くの人にしがみつく事はあるでしょう、先に沈みかかった人も目の前の足にしがみつきます。
    その様子を雑誌記者が面白みを加える為にウソを書いたのでしょう。

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