旧総谷トンネル

1971年、旧総谷トンネル内で電車の正面衝突事故が起こり、死者25名重軽傷者227名が出た。
旧総谷トンネルは単線だった頃に使用されていたトンネルで衝突事故から間も無く複線工事が進み新たにトンネルが設けられ廃トンネルとなった。

トンネル内部から女性のすすり泣く声が聞こえたり、何かを引きずる音が聞こえたなどと言われている。
トンネル入り口に、男性の幽霊が立っているという噂もある。

旧総谷トンネルで起きた事故

近鉄大阪線列車衝突事故

1971年(昭和46年)10月25日 
15時37分頃、近鉄大阪線の西青山駅 – 東青山駅間の青山トンネル東口手前200mの同トンネル内で、上本町発近鉄名古屋行き特急電車が、自動列車停止装置 (ATS) 故障のため誤停止した。

運転士はATS解除操作を行ったがブレーキが解除できず、停止地点は下り33‰の急勾配であったため、止むを得ず車輪に手歯止め(ハンドスコッチ)を挟み、各車輌の供給コック(ブレーキ装置からブレーキシリンダーにエアを供給するコック)をカットしておいて、ブレーキシリンダーのエアを全部抜くという非常措置(制動不緩解故障の際の基本手順通り)を行った。

ところが、列車停止を聞いて東青山駅から駆けつけた助役が、運転士との何らかのやりとりの後に手歯止めを外してしまい、運転士は供給コックのカット解除を怠って運転室に戻ってブレーキを解除した。その結果、列車は走り出し、また供給コックがカットされているのでエアの再充填も出来ず、ブレーキが効かない状態で連続33‰の下り坂を暴走した。

この時、当該車両の乗客は後部車両へ避難するよう指示をされていたことから、乗務員では手が下せない状態になっていたとみられている。

東青山駅を通過し、15時58分頃東青山 – 榊原温泉口間にあった垣内(かいと)東信号場の安全側線を、推定速度120km/h以上で突破し脱線転覆、左カーブであったため本線の切り通しへ転落した。

3両目以降は総谷トンネル入口付近の壁に激突して止まったが、先頭の2両が横転した状態でトンネル内へ突入し、直後に対向してきた賢島発京都・近鉄難波行き特急電車と正面衝突した。

これにより死者25名(運転士・車掌と東青山駅助役の計3名含む)、重軽傷者227名を出す大惨事となった。

対処した助役や乗務員が死亡したため、助役や運転士から事情聴取あるいは逮捕しての取調べをすることができなかったことから、供給コックをカットしたまま運転士が運転室に戻った理由や、手歯止めを外すに当たって運転士と助役の連絡状況などは解明できなかった。

山間のトンネル内での事故であったため復旧に時間がかかり、10月29日午前1時に復旧した。

この事故をきっかけに、近鉄はかねてより予定していた大阪線の完全複線化を前倒しして着工した。

まずは、事故区間を含む榊原温泉口駅 – 垣内東信号所間に新総谷トンネル、新梶ケ広トンネルの2つの複線トンネルを開通させ、この区間を先行して複線化した。

この工事は1975年11月、青山トンネルに替わる新たな複線用トンネル(新青山トンネル)が開通したことで完成し、西青山駅・東青山駅も同時に移転。
かつての青山峠越えの旧駅などは廃止された。

実際は垣内東信号所付近の総谷トンネル入口で起こった事故であるが、一般には「青山トンネル事故」とも呼ばれている。

三重県津市白山町佐田

 三重県津市白山町佐田996−1 

2 thoughts on “旧総谷トンネル

  1. ろんやん。

    こちらも何度か行きましたが、自分には全く何事も無い場所です。霊の人数的には多くても40年以上も前だと霊のパワーが薄くなってるんですかね?声くらい聞こえても良さげなもんなのに。

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  2. 匿名

    特急で側を通過する時にみるのですが、
    廃線跡の「四季のさと」は見た感じ公園墓地に似た印象がありますので、
    もしかしたら慰霊施設かも、ですね。

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