第二次世界大戦の末期1945年に広島に原爆が投下された時に、ここは爆心地から1,420mの場所にあった本館は1Fの3部屋を除いて全焼し、教員、学生共に134人が犠牲となった。
兵隊が進行する足音が聞こえてくる、絶対に通ってはいけない廊下が有る、校内に犠牲になった人達の霊が彷徨っているという噂がある。また、人体実験をしていたという噂も有るようだ。
現在は、老朽化もあり立入禁止となっていて、保存に向けて協議が行われている。
第二次世界大戦
1939年(昭和14年)9月1日~1945年(昭和20年)8月15日(または9月2日)
連合国・枢軸国および中立国の軍人・民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人とされる。8500万人とする統計もある。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者となった。民間人の被害者数:3800万〜5500万(飢饉病気によるものは1300万〜2000万)。軍人の被害者数:2200万〜2500万。捕虜としての死者数も含む。
広島県広島市中区東千田町1丁目1−23
