1971年(昭和46年)に起きた川崎ローム層斜面崩壊実験事故で、実験関係者、報道関係者ら15名が生き埋めとなり死亡した。園内に慰霊碑が建てられている。
しかし、霊の目撃は事故で死亡した関係ではなく親子の霊や人魂が桝形付近や、民家園付近、中央広場、奥の池で目撃されている。
生田緑地は表から入ると特に何もないが裏側から入ると危険だという噂があり「生田緑地裏側」とも言われている。
川崎ローム斜面崩壊実験事故
1971年(昭和46年)11月11日
斜面に散水し降雨を再現することで人工的に斜面崩壊を発生させ、どのくらいの雨量で崩壊が発生するかという基礎データを収集する実験で、総雨量(総散水量)が470mmに達したとき(資料によっては 480mm)、轟音とともに斜面に爆発的な崩壊が発生した。
崩壊の速度及び規模がよりはるかに大きかったため、実験関係者、報道関係者を含む25名が生き埋めになり、15名(実験関係者11名、報道関係者4名)が死亡、10名が負傷した。
Wikipedia:「川崎ローム斜面崩壊実験事故」より抜粋
神奈川県川崎市多摩区枡形7丁目1−4