白高大神(玉姫教会)

人影が蠢いていたり、足に何かに撫でられるような感触が有ったり、はっきりと何を言っているのかは分からないが誰も居ない方から人の話し声が聞こえて来るという事が有るそうだ。

ある女子高生が霊に取り憑かれ老婆が乗り移ったような状態になりその後行方不明になったという話しや、神社内にある「防空壕」が一番危険だと言う話もある。

白高大神(玉姫教会)の基本情報

戦後、中井シゲノという霊能者が神降ろしを行い、加持(ヒーリング)によって多くの人を癒し託宣によって人々を救った女性巫者がいた。

彼女は1970年代くらいまでこの地で宗教法人玉姫教会として新興宗教を運営し、様々な人の悩みを解決していたそうだ。

中井シゲノ

1903年(明治36年)
奈良の農家に生まれた。巫女であった大叔母の才能を受け継ぎ、8歳で初めて神が降りるという体験をして以来、大叔母の元でシャーマンとなる修行をした。

19歳で結婚し長女と長男をもうけるが、22歳の時に事故で長女の足が目に直撃して失明。

目が見えなくなったシゲノは、古の昔、天皇が盲目の皇子の目を滝の水で洗ったことで、皇子の目が見えるようになったという言い伝える有る、観音菩薩を祀っている滝壺で滝行をすることにした。

1927年(昭和2年)
突然「白高(しらたか)」という真っ白なキツネの神様(守護神)がシゲノに降り、これまで何も見えなかった目に明るい光や色が映るようになったという。

1934年(昭和9年)
夢のお告げで大阪に一人赴き、夢に出てきた神社を探す。見つけた神社が、安居天神とその境内にある玉姫社でした。

これまでの人生、白高のキツネ、夢のお告げのことを安居天神の宮司さんにお話しすると、宮司さんは今は祀る氏子のいない玉姫社を、シゲノに譲ることを約束した。

1936年(昭和11年)
シゲノは大阪に定住し、修行の日々。信者さんの悩み事をピタリと当て、的確なアドバイスを与えるようになった。

玉姫社の信者は徐々に増えていき、政治家、官僚、会社経営者といった人々もシゲノのもとに通うようになっていった。

1939年(昭和14年)
玉姫教会は全国の伏見稲荷の総本山、伏見稲荷大社の特別講社になるまで成長しました。敗戦で信者が激減したものの「本物の神の言葉を聞ける巫女」としてシゲノの名声は高まっていった。

1964年(昭和39年)
玉姫教会は伏見稲荷大社の大阪南支部に昇格したものの、その後は次第に信者が減っていき1991年(平成3年)にこの世を去った。享年89歳

奈良県奈良市大和田町

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