日本航空123便墜落事故は、1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分に、東京(羽田)発大阪(伊丹)行同社定期123便ボーイング747SR-100が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)墜落した航空事故である。
乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者(負傷者)は4名であった。死者数は日本国内で発生した航空機事故では2017年1月の時点で最多であり、墜落事故および単独機の航空事故でも世界最多であるとなった。
日本航空123便墜落事故
1985年(昭和60年)8月12日
乗員乗客あわせて524名を乗せた伊丹空港行きの日本航空123便が羽田空港を18時00分に離陸した。離陸して離陸から12分後(18時24分)、機体に異常が発生。突然の衝撃音と共に操舵が不可能になってしまう。
操縦不能に陥った機体は迷走を続け、パイロットの必死の努力もむなしく、18時56分に群馬県と長野県の県境にある御巣鷹の尾根へ墜落した。
当日のJAL123便はお盆の帰省シーズンであること、当時開催中のつくば万博からの帰り客がいたことなどから、ほぼ満員となっており、乗員乗客524名が搭乗していたが墜落によりその内の520名が犠牲となった。
犠牲者には歌手の坂本九、元宝塚歌劇団の北原瑤子、阪神タイガース社長中埜肇、ハウス食品社長の浦上郁夫、コピーライターの藤島克彦ら数名の著名人や、甲子園球場で行われていた夏の高校野球を見に1人で搭乗していた小学生なども含まれていた。
墜落現場である「御巣鷹の尾根」には事故の翌年、慰霊碑が建立され、毎年8月11日の夕刻に上野村の神流川で灯篭流しが、8月12日には慰霊登山が行われている。
群馬県多野郡上野村楢原
群馬県多野郡上野村楢原2150
つくば万博が開催されていましたしね…。
つくば博は人気だったけど、当時開業して数年のディズニーランドからの親子が数組いた印象が強いです。今でこそ修学旅行や家族旅行で飛行機に乗る人は多いですが、当時は飛行機なんて気軽には乗れませんでした。たいてい会社の社長さんや裕福な一部の人くらいしか乗れませんでした。子供が乗れるなんて極めて稀でした。ご褒美か特別なことでしか乗れなかったでしょう。それがあんな悲劇になるなんて。小学3年だったあの夜、今でもあのニュースの衝撃は忘れられません。慰霊登山に何度か行きました。どうか冷やかしでは訪れないでください。午前中か昼間にお線香を持って慰霊に行ってください。