幽霊道路(京葉道路)

一之江橋(いちのえばし)周辺で白いワンピースの女の目撃や、母子の幽霊白い火の玉双子の生首など多様な幽霊の噂が有り主に東京寄りの高圧線の下、電話ボックスの前、谷河内のカーブの三ヵ所が多いと言われている。

京葉道路の谷河内のカーブで女が赤ん坊を抱いて手をあげているので、乗せようと車を止めたが消えていた。まもなく背中をたたかれたように思ってバックミラーをのぞくと、女の顔が写っていた話が有るようだ。

幽霊街道としての発端は1960年の開通から1ヶ月後にバイクでの死亡事故が発生した。これがこの道路での事故第1号となった。

バイク事故から3日後、まったく同じ地点で今度はトラックが事故を起こす。

さらに10日後にも事故が起きたが、現場は見通しが良い直線道路で、所轄の小松川署の調査でも原因らしきものは見つけられなかった。

1961年(昭和36年)2月24日、田島ふみ子さん(44歳)が子供三人をつれてカーブを横断しようととして、乗用車にはねられ40mもひきずられて即死した。子供三人の見ている前だった。ぶつかった車の右前照灯から右ボンネット(前頭部)にかけて、ふみ子さんの身体の型が残っていたといわれるいたましい事故だった。

また四番目の犠牲者となった千葉県市川市稲荷木の工員、吉田誼さん(17)が死亡した時は、母親が毎日のように現場に来て悲嘆にくれていたという。

道路を横断しようとした主婦が轢かれて死亡。子供の急病を知らせに医者の元へ行こうとしていた途中の事故だった。その後、この場所では母子の幽霊が目撃されるようになったという。

7月はじめ、子供が病気で医者を呼ぼうと母親が電話ボックスに入ろうとしたところ、ボックスの中に若い女を見つけた。ところが突然女性が消え、母親が何度ダイヤルを回しても電話がかからなかった

7月の夜にこの道路をトラックが走行中に目の前に髪を振り乱した女が飛び出してきた。慌てて急ブレーキを掛けたが間に合わず轢いてしまった。しかしトラックの下を確認してみると遺体などは全く残されていなかった。

不審に思いながらもしかなくトラックを発進させようとすると血まみれの女の幽霊が背後に立っていたという。

京葉道路の基本情報

1960年(昭和35年)5月に開通、国道14号線の渋滞緩和を目的として造られた、都内で最初の有料道路。

東京都初の高速道であったが、以前は人の横断も可能だった。特に市川インターと篠崎インターの間は無料区間で人の横断も可能なうえ照明もなく、事故が多発。京葉道路は国内の最多死亡事故記録を出した。

東京都江戸川区

地域 : 関東地方 | 東京都
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著者: 管理人

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