夜中にタクシーがこの辺りを走行していると、女性が一人で手をあげていたのいでタクシーを止めると女性はずぶ濡れの姿だった。
不審に思いながらもタクシーを走らせ目的地に着き後ろを振り返ると女性は消えていて女性が座っていたシートはぐっしょりと濡れていたという。地元の人々は、洞爺丸の犠牲者の幽霊が自宅まで帰ったのだと噂したそうだ。
後年、洞爺丸事故の教訓を受け、より安全な船舶が設計され入水されたが、ここでも奇怪な事件が起こる。定期点検時に、新型船のスクリューには爪で引っ掻いたような無数の傷跡があったという。
「洞爺丸台風海難事故の犠牲者たちは、今でも幽霊となっても海中を彷徨っているのだろう」と囁かれたという。
洞爺丸台風海難事故
1954(昭和29)年9月26日、函館を襲った台風15号(洞爺丸台風)で、青函連絡船5隻が函館湾に沈没し、死者行方不明1430名を数える大惨事が起きた。そして、既存の火葬場では処理が追いつかず、この浜辺に仮説の火葬場を設置し犠牲者の方々を荼毘に付したといわれている。
唯一の客貨船の洞爺丸は、函館湾七重浜沖に沈没し、死者・行方不明者1155名、生還したのはわずか159人であったといいます。
これは、1912(大正元)年のタイタニック号沈没事故(同1517人)に次ぐ、世界有数の海難事故となった。
多くの遺体が打ち上げられた上磯町(現北斗市)七重浜に、犠牲者の霊を慰めるため、事故の翌年に「洞爺丸台風海難事故慰霊碑」が建てらた。
北海道北斗市七重浜7丁目16