白虎隊という会津藩が組織した16歳から17歳の、武家の男子20名が集団自決(1名は命を取り留め19名が死亡)したことで有名なこの山にはそれらにまつわる慰霊碑が数多くある。
一本だけ枯れていり、霊感のある人はそこに呼び寄せられると言われている。また、慰霊碑の前や「戸ノ口堰洞穴」という水路では、心霊写真が取れたり、写真を撮ろうとすると誰も居ないのに何人もの顔認証が反応することんも有るそうだ。
また、どこからか呟くような声が聞こえてくるという事も有るようだ。
白虎隊
1868年(慶応4年)、戊辰戦争に際して新政府軍と幕府方の会津藩の間で発生した会津戦争に際して、会津藩では藩士子弟の少年たちで構成される白虎隊と呼ばれる部隊が結成され抗戦する。
そのうち士中二番隊が戸ノ口原の戦いにおいて8月23日に負傷者を抱えながら郊外の飯盛山に逃れ、鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚した。
総勢20名が自刃を決行し、唯一喉を突いた飯沼貞吉(のち貞雄と改名)のみが一命を取り留め、その他19名が死亡した。
白虎隊の中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいたほか、幼少組として13歳の少年も加わっていたと言われている。
福島県会津若松市 飯盛山
あの水路はー流れる水の勢いが、写真どころじゃないと教えてくれますよ。