ここに肝試しに訪れた若者のグループのうちの一人が洞窟の入り口の看板を蹴るなどの罰当たりな行為を始めたので周りの仲間はなだめて止めたそうだ。
後日、看板を蹴った若者は車に足を轢かれ出血多量で亡くなってしまったそうだ。その後、轢かれた足が看板を蹴った方の足だったのを知った他の若者は畏怖し急いで洞窟に訪れて謝罪した。しかし、祟りは収まらず帰宅する最中に交通事故に遭い亡くなってしまったという。
それ以降に夜になると洞窟周辺でどこからか泣きながら謝罪する男の声が聞えるようになったという。
それから、山田徳蔵氏の祟りか、観音様の祟りだったと囁かれているそうだ。
洞窟観音の基本情報
呉服商山田徳蔵によって1919年(大正8年)着工され、1969年(昭和44年)50年の歳月をかけて作られたものです。
洞窟内の坑道は長さ400メートルを越え、彫刻した御影石の観音像39体が他の石彫群と共に安置され神秘的な法悦の世界を繰りひろげています。
参考資料:洞窟観音・山徳記念館・徳明園
群馬県高崎市石原町2857 山徳記念館