小塚原刑場跡

この周辺では様々な心霊現象が起きていると言われている。小塚原刑場は、江戸期の1651年(慶安4年)から幕府が滅びるまでの約220年の間に、夥しい量の罪人の屍が敷地の至るところに無造作に埋められ続けてきた

年間1,000人もの死刑され、廃止になるまでに20万人もの人が死刑になったとされている。

処刑された死体は、申し訳程度に土を被せるのみで、夏になると物凄い死臭が充満し、野良犬やイタチなどの獣に啄まれ荒らされていた。まるで地獄絵図の様だったと言う。

死刑囚の霊を弔う為に1667年(寛文7年)に南千住回向院が建立されたが、1872年5月、高島嘉右衛門によって興された日本初の私鉄「日本鉄道の土浦線(現・常磐線)」の開業に際に、同院は線路を隔てて南北に分断。

南側は延命寺という別の寺社となってしまった。

江戸時代に、江戸の刑場は北に小塚原刑場、南に東海道沿いの鈴ヶ森刑場(東京都品川区南大井)、西に大和田刑場(八王子市大和田町大和田橋南詰付近)があり、三大刑場といわれた。

東京都荒川区南千住2丁目34−5

地域 : 関東地方 | 東京都
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