「京都でも最大の魔所」や、「魑魅魍魎の最後の砦」と言われるほどの怪奇スポットとして有名な所となっている。
都から追いやられた魑魅魍魎の類いなどが、最後の砦とした寺だと言われ、650年(白雉元年)に役行者が創建したとされている。
江戸時代の1831年(天保元年)に発生した火事で、そのほぼを消失したが、弘法大師の作ったとされる不動明王だけが幸いにして厄災から逃れ、今も本堂に祀られている。
「司馬遼太郎」や、渓流釣り師の「山本素石」が体験したという怪異について実体験が昭和29年に書かれた「石楠花妖話」がで世に知られることになった。
司馬遼太郎氏が後に宮崎駿監督に志明院の話をして、その時の話が「もののけ姫」のアイディアやタイトルを思いついたキッカケだとも言われている。
ここに泊まった者の話によると、夜にガタガタと戸を鳴らしたり、屋根を誰かが歩くようなドンドンという音に悩まされたという話しがある。
また、ある年の夏に妙齢の女性が一晩志明院に宿泊した事があった。夜半、その女性の枕元に一寸法師のような小さな侍が現れ、 針のような刀で、胸といい脚といい、ところかまわず刺しだしたという。
女性は堪りかね、胸をはだけ、裾をめくりあげ布団の上で のたうちまわっていた。
騒ぎを聞き駆けつけてきた住職は、あられもない女性の姿を見て、 「これは物の怪の仕業である」と印を結び、喝を入れ女性を目覚めさせたという。
志明院では、一切の撮影を禁止されており、飲食の持ち込みも禁止となっている。
京都府京都市北区雲ケ畑出谷町261