船岡山公園

1984年(昭和59年)園内の西陣警察署十二坊派出所に勤務していた警察官が、殺傷された上で拳銃を強奪されるという悲惨な事件が起きました。この事件以降、この付近で夜中に呼び止める声が聞こえてくる、血を流した警察官が現れる巡回中の警察官の霊が立っていた、深夜に現場付近で警笛のような音が聞こえる誰もいないのに草むらから強い視線を感じるといった噂が囁かれています。

誰も居ないのに男性のうめき声や苦しそうな息遣いを聞いた人や、事件当時、巡査は刺された後も意識があり、無線で「助けて」とSOSを発信したという話しも有り、耳元で無線機の雑音まじりの「助けて・・・」という声が聞こえてくるという話しも有ります。

Googleマップの口コミなどにも「警察官の霊がいる」という書き込みが有るようです。公園内や階段付近で、白い服の女性ジッと何かを見つめている少女の霊木陰からこちらを見る人影が現れるという噂もあるようです。

夜間に公園を訪れると、誰もいないはずなのに後ろから誰かがついてくるような足音が聞こえてくるという話しや、この辺りの鬱蒼とした林の中で首吊り自殺をする人も居ると言われています。

1467年(応仁元年)から1477年(文明9年)までの約11年間の応仁の乱でも沢山の血が流れた場所でもある。西軍がこの船岡山に城郭(船岡山城)を築いて本陣を置きました。そのため、山全体が激しい戦場となり、多くの武士がここで命を落としています。今でもこの一帯は「西陣(にしじん)」という地名で残っていますが、これは西軍の陣地だったことに由来します。

静まり返った夜の山頂付近や木々の隙間から、男たちの低い唸り声や、戦(いくさ)を思わせる怒号のような音が風に混じって聞こえる落ち武者、武士姿の男性の霊、血まみれの兵士、戦国時代風の人影、特に霧が出る夜に、木々の間へ消える鎧武者を見たという話が聞かれます。

船岡山がこの山そのものが、古くから京都の闇の歴史と深く結びついています。平安時代(794年の平安京遷都から1185年の鎌倉幕府成立までの約400年間)、船岡山の周辺は蓮台野(れんだいの)と呼ばれる広大な葬送地(墓地・遺体の破棄場所)の入り口にあたる場所でした。当時は現代のような火葬ではなく風葬(遺体を野ざらしにする)も一般的だったため、古くから死者の気配が漂う場所とされていました。

1983年7月公開の崔洋一監督による映画「十階のモスキート」(主演:内田裕也)は、1978年(昭和53年)に起こした西陣警察署から拳銃を盗み出して強盗傷人事件をモデルにしています。

京都・大阪連続強盗殺人事件

1984年(昭和59年)9月4日
廣田 雅晴(ひろた まさはる)当時41歳は京都府警察の巡査部長を務めていた元警察官わずか3時間の間に、京都と大阪を股にかけた凶行が行われました。事件から7年前の1978年(昭和53年)、西陣警察署から拳銃を盗み出して強盗傷人事件などを起こし、懲戒免職となっていました。その後、懲役7年の刑に服し、1984年8月に刑務所を出所したばかりでしたが、わずか1ヶ月後に今回の連続殺人を引き起こしました。

京都事件

午後0時50分頃かつて勤務していた西陣警察署十二坊派出所の巡回に出ていた男性巡査(当時30歳、殉職後警部補に2階級特進)を待ち伏せし、包丁で何度も刺した上、奪った警察官の拳銃で射殺しました。廣田は巡査が所持していた実弾入りの拳銃を奪って逃走しました。

大阪事件

午後4時頃、京都での犯行からわずか約3時間後、奪った拳銃を持って大阪へ移動。消費者金融の店舗に押し入り、中にいた男性従業員(当時23歳)を容赦なく射殺しました。そして現金60万円を奪って逃走しました。もう一人の女性店員は無事でした。

事件の翌日、廣田は潜伏先で逮捕されました。 元警察官が自らの古巣の組織(警察)を襲い、武器を奪って市民を殺害するという前代未聞の凶行に、世間は大きな衝撃を受けました。

事件後

裁判で廣田は一転して無実を主張し、不規則発言を繰り返すなど法廷は荒れましたが、現場に残された遺留品や目撃証言などから有罪は揺るがず、1998年(平成10年)1月16日に大阪地裁で死刑判決が確定しました。

京都府京都市北区紫野北舟岡町27−137

参考:Wikipedia「京都・大阪連続強盗殺人事件」

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