昔に中野長者と呼ばれた鈴木九朗が、自分の財産を地中に隠す際に他人に知られる事を怖れ、手伝った人を殺し神田川に投げ込んでいたという。
九朗と橋を渡る時は見えていた人が、帰りには消えていたことからこの橋は「姿見ずの橋」「いとま乞いの橋」「面影橋」と言われていた。やがて、この橋で多くの幽霊が出るという噂が広がっていたという。
そんな噂がある中、九郎の娘が18歳の婚礼の夜に事件が起こった。
娘が蛇に変身し淀橋から川に飛び込んで命を絶ったという。九郎に殺された怨念が、娘を川の中に引きずり込んだと言われている。
この事件で九郎は自分の悪行を改心し、僧侶になり仏に祈るようになった。
それでも幽霊の噂は絶えなかったが、大正2年に供養がおこなわれた事により治まったと言われている。
この伝承から、花嫁がこの橋を渡ると行方不明になるという噂が広がり、花嫁行列は決してこの橋を渡らなかったという。
「淀橋」という名は江戸時代の初めに鷹狩りに訪れていた三代将軍徳川家光がこの話を聞き、「不吉な話でよくない、景色が淀川(京都の淀川)を思い出させるので淀橋と改めるよう」と命じ、それ以降そのなが定まったという説が有る。
昭和40年ぐらいまではここは淀橋という地名が残っていたという。
ちなみにヨドバシカメラのヨドバシもここから来ている。
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