遠野の「恩徳の幽霊屋敷」と言われていた空き家で1979年(昭和54年)に恩徳の林道工事で来ていた作業員が15人がこの家を借りて泊まっていた。すると深夜に足音が聞こえてきたり、ポルターガイスト現象が起きたりとさまざまな心霊現象が起きたという。
そこで、本照寺から住職を呼び、その空き家をお祓いをしてもらうと「ここに、私と同じ職業の者が埋まっているようだ」と語ったと言われている。
恩徳の幽霊屋敷の伝承
恩徳では昔から有名な言い伝えというか知られている「平助」という人物がいた。この「平助」は八卦置き(今で言う占い師)で有名で自分の家の下には骨が埋まっていると占っていた。
その「平助」の長男は狐に憑かれているという噂になっており、その原因が「魔物だか、死んだ者とかがこの家から出るから清めねばならない」と騒いでいた。
1950年(昭和25年)に「この家には祟りがある」と言い、家に火を放ち焼いてしまった。焼け跡を掘り返してみると「平助」の言う通り人骨が出て来たのだという。
その後「平助」の孫にあたる人物が金塊を持っており、それを疑問に思った「平助」が屋敷の側を掘った際に矢立が出てきたという。
金塊、矢立は農家の自宅に泊まった旅の六部という人物を殺して金品を奪い、それを元手にして財を成し、生まれた子供が六部の生まれ変わりでかつての犯行を断罪する物語の六部が持っていたとされる物品なので、六部殺しの噂は絶えなかったという。
そして「平助」の本家がこの恩徳の幽霊屋敷と云われる廃屋とされている。
宜保愛子も恐れた廃屋
とある番組で遠野にあるヤバイ場所を訪れるという企画があった。宜保愛子らがこの廃屋を見て「この屋敷は危険よ、これ以上近づいては行けない」と取材を強く拒否し、他の場所を取材することになったという。
現在では
2010年に取り壊され更地となっている。当時建物があった面影も無い。
岩手県遠野市土淵町栃内1地割12