花魁淵

古い着物を着た血みどろの女性が出るとの噂があり、事故も多発していたという。

国道411号線(青梅街道)旧道沿いの、甲州市と北都留郡丹波山村の境にあり、地元では銚子滝と呼ばれている。花魁淵の名は、戦国時代に起きたと伝えられる悲劇に由来する。

花魁淵の概要

武田勝頼のによる甲州征伐の折、武田氏の隠し金山と言われたこの黒川金山も閉山となった。

この時、金山の秘密が漏れることを危惧した金山奉行 依田の主導で、鉱山労働者の相手をするため遊廓にいた55人の遊女と金山に従事した配下の武士を皆殺しにすることを決め、酒宴の興にと称して柳沢川の上に藤蔓で吊った宴台の上で彼女らを舞わせ、舞っている間に蔓を切って宴台もろとも淵に沈めて殺害した殺された遊女が55人であったので五十五人淵とも言う)

実際に事件があったのは、この場所よりも更に上流のゴリョウ滝の辺りであったとされ、事件を説明する看板と小さな供養碑が建てられている。

また下流の丹波山村には、この際の遊女たちの遺体を引き上げてお堂を建てて供養したとされる言い伝えが残る。このお堂は長らく失われていたが、1988年(昭和63年)に再建されている(西東京バス丹波バス停下車、徒歩15分)

一方、この花魁淵という名は、後に付けられたものとされる。その根拠としては、戦国時代には遊女を指す「花魁」という単語は無かった(花魁は江戸時代になって成立した)こと、また明治の世にこの地を訪れた役人が、紅葉する奥多摩の渓谷美を「まるで着飾った花魁のように美しい」と形容したことなどが語り継がれている、といった点などが挙げられる。

廃道となった花魁淵

花魁淵付近は地形が険しく、崖崩れによる通行止めもたびたび発生していたため、2011年11月21日に付近の国道は複数のトンネルを含むバイパス道路に変更され、花魁淵前の道路は現在旧道となった。

旧道はバイパスの開通と同時に厳重に閉鎖され立入禁止となっており、花魁淵に近づくことができなくなり、山梨県による廃道化工事が行われた。

山梨県甲州市塩山一ノ瀬高橋

  1. 2022年(令和4年)/7/21(木) 日本全国 最恐心霊スポット完全ガイド

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