関宿藩処刑場跡(納谷の首切塚)

深夜に首切り塚の前の道を通ると老婆の幽霊が現れるという噂や、車で走行しているとロックしていたドアが勝手に開き、白いモヤがふわっと現れるという。

石碑側面に「享和元年辛酉素秋上澣日(1801年の秋上旬)」とあるが、処刑場が設けられた時期ははっきりしていない。

実際に処刑された刑場は利根川河岸にあり、この場所は落とされた首が運ばれ埋葬した場所とも伝えられている。

処刑場跡

この付近には、江戸時代の処刑場があったと伝えられています。 「南無妙法蓮華経」と刻まれ た慰霊碑には「享和元年(一八〇一)」 とありま すので、石碑の建立はこの時であったと思われ ますが、処刑場が設けられた年代は判然として いません。

また、実際に処刑した場所は西方の 利根川べりであり、ここには首だけ持ってきて 埋葬した場所だという説もあります。

江戸時代の刑罰 (死刑)には、「公事方御定書(くじかたおさだめがき)」 によると、鋸引・磔・獄門・火罪などがあり、 他に武士だけに許された切腹もありました。こ れらは罪の内容や身分によって決められ、市中きしのような付加刑もありました。

野田市教育委員会

千葉県野田市関宿台町2871−5

地域 : 関東地方 | 千葉県
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