敷地内には墓石があちこちに建っており、この土地を再開発しようと工事が始まるが祟りが起きてしまい現在も全く手をつけられない状態となっているそうだ。
転々と墓石があり「お墓山」の名前の由来となった「旗本 安藤氏のお墓山」もある。
旗本・安藤氏のお墓山
この丘は小学榊山と呼ばれています。江戸時代の旗本、安藤氏3代、正珍(寛文6年・1666年没) 同弟正頼(寛文3年・1663年没) 4代正程(延宝7 年・1679年没)の墓地と定められてからお墓山と呼ばれ、 曹洞宗観音寺(泉 区新橋町)の寺領として現在に至っています。
正面の一番奥まった木立ちの茂み の中に、安藤次右衛門正次の事蹟を漢文で刻んだ碑があります。
大阪冬の陣、夏の陣に数多くの軍功をたてた次右衛門は、徳川幕府の旗本とし て所領2,540石を有し幕政に参画していました。 阿久和村はその所領の一部 として明治維新に至るまでその治政下にありました。
平成10年3月
神奈川県横浜市瀬谷区阿久和南1丁目7