「お竜」と呼びかけると微かに「おう」という返事が聞こえてくるという噂が有るようだ。また、池は底なし沼になっているとの話も有るようだ。
竜ヶ池の基本情報
江戸時代、1665年(寛文5年)、当時の伊船村大庄屋・真弓長左衛門のもとに農業用のため池が築造された。
池は村の東にある畑ヶ田の谷を流れる川をせき止めて造られたもので、この工事に際し長左衛門は伊勢亀山藩に対し1万人もの人夫を請求した。
庄屋のお茶くみとして働いていた美人の娘「お竜」を人柱に据えたことで、難航していた工事が完成へと導かれた。池の名は娘の名をとって「竜ヶ池」と名付けられたという。
伝承:魚のこぶ
竜ヶ池には背中にこぶ(瘤)がある魚が棲むといわれている。
人柱となったお竜は生前、作業員に配る弁当を背負って工事現場まで運ぶ役割を担っていた。背中にこぶのある魚の姿は、そうした往時のお竜を思い起こさせるものであった。
参考資料:Wikipedia:竜ヶ池 (鈴鹿市) 2024年(令和6年)3月21日閲覧
三重県鈴鹿市伊船町