元々曰くのある橋なのだが、その曰くではなく橋で事故死した人の霊が出ると囁かれているそうだ。
その昔、津波で橋が度々流されるので、1700年代の江戸時代の享保年間に老婆たちが10年間念仏修行をして祈願した後に架けた橋だから「念仏橋」と言うようになったという。
もう1つ説が今から1800年頃にこの橋の近くに加藤田という豪族がい居た。加藤田家の屋敷にはお菊という下女(女中)が居た。
ある時、お菊は主人の家宝を誤って壊してしまい、主人は怒りお菊をを橋から逆さ吊りにして処刑してしまった。
それからと言うものお菊の幽霊が橋に現れるようになり人々は念仏を唱えながら橋を渡るようになったという。
その後、お菊の祟りで屋敷の所有者は次々に死に、ついに屋敷は塩竈の雲上寺に寄付され、お菊の霊は住職によって供養され、お菊の幽霊は現れなくなったという。
この事から「念仏橋」というようになり、亡くなったお菊さんから「お菊橋」とも呼ばれるようになった。
また別の伝説によれば、お菊は屋敷の近くに生き埋めにされ、その場所は「菊ヶ岡」と呼ばれたそうだ。その場所は念仏橋のすぐ南東の小高い丘で、多賀城市大代1丁目14辺りだという。
宮城県多賀城市大代1丁目17