浦賀燈明堂

燈明堂付近では、江戸時代には「久里浜処刑場」としての海運関係の首切り場だった場所となっており、江戸時代は冤罪の制度が無く何人もの罪人が首をはねられたと言い伝えられている。

無念に命を落とした罪人の怨霊を鎮めるために地蔵供養碑が立ち並んでおり、死んでいった罪人の霊の目撃が多いと言われている。

浦賀燈明堂は1648年(慶安元年)幕府の命でつくられた和風の灯台である燈明堂は1882(明治5年)に完全に廃止された。

その後完全に倒壊し石垣のみとなったが、1989年(平成元年)3月に復元された。

神奈川県横須賀市西浦賀6丁目9−1

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