1584年(大正12年)の小牧・長久手の戦いのとき、徳川家康方の家臣渡辺守綱らが血のついた槍や刀を洗った池があった場所。
この池には、毎年、合戦のあった4月9日になると池の水が赤く染まったという伝承が残されていることから「血の池」と呼ばれていた。その後、池が埋め立てられ「血の池公園」となったという。
血の池のいわれ
天正十二年四月九日の長久手合戦では、この一帯が主戦場となり付近の御馬立山に布陣した家康軍と、秀吉方の池田勝入、池田元助、森長可などの武将が対峙し、死闘を繰り返した結果、秀吉方の三将が討死しました。
血の池は、家康方の渡辺半蔵などの武将が、血創や刀剣を洗ったことからその呼び名がついたと言われています。毎年合戦の行われた頃になると、池の水が血の色に赤く染まって漂ったと言い伝えられており、名松鎧掛けの松とともに永く人々の心に語り継がれていました。
昭和六十年三月 長久手町
愛知県長久手市城屋敷403