寺部池
では、真夜中に女性の霊が池の真ん中にゆらりゆらりと浮かんでいるのを見たという話しや、木と木の間から血まみれの女性がこちらを覗いていたという。
明け方に池から子供たちのはしゃぎ声がうるさくて注意してやろうと行ってみたら消えていた。
昼間に釣りをしていて人が対岸の方に同じように釣り人を見かけたが、なんだか様子がおかしい事に気づいた。よく観察しうてみると、体が透けておりスーッと消えていったという話しも有るようだ。
一部では市街地から東に抜けたところにある池になっており、自殺した霊ではないかと言われている。
寺部池の由来
この寺部池は、明治十一年(一八七八年)寺部の人松本但郎、大澤重広両氏が発起人となり、大字寺部(現在の寺部町と高橋町)の農民のために用水を確保すべく京ケ峰の滝を水源とし、谷間の水田に堤防を築造して造った池である。
工事は、大字寺部の三つの小字が分担して着工され、池の堤防寺部中町、下流の水田へ至る用水路の区間を決めて寺部本町と新屋町とがそれぞれ受け持ち、農閑期を主体に堂々七年間、農民全員がスコップとモッコで全くの勤労奉仕で汗を流し、明治十七年建水にこぎつけた。
以来百年余り、寺部池は高上、川田町、千石町等の田畑に、命の水を恵み続けた。
これは、我々の先祖の血と汗の結晶である。こうした先人達の苦労を忘れることなく、この地方に農業ある限り寺部池の清水を守り続け、この明媚な自然を永久に後世に伝えたいものである。
昭和六十三年十一月
寺部町自治区
高橋自治区
愛知県豊田市京ケ峰3丁目