幽霊踏切(流山のお化け踏切)

昭和40年代、昼夜問わず必ず二人の女幽霊が出ると言われていた踏切では事故が多発し、5年間で8人もの死者が出ており「魔の踏切」と言われている。そばには数本の卒塔婆を控えたお地蔵さんが設置されている。

昭和44年2月のある夜の事。電車を運行中にこの踏切に差し掛かった時、運転手が前方に目を凝らせて走っていると、踏切脇に、白い着物を着た二人の女の幽霊が恨めしげに浮かんでいるのを目撃したのだという。

それからと言うもの、昼夜問わずにこの踏切を通過する度に運転手達は、二人の女幽霊の姿に悩まされる事になった。

幽霊が出る踏切の話は、当時の新聞にも載り、現地に集まる見物人の前にも幽霊は現れた。

以後、その踏み切りは「流山のお化け踏切」と呼ばれるようになったのだという。

事故が多発する踏切に地元の住人達は、鉄道会社に警報機や遮断機を設置する様に要望を出したが、費用がかさむ為に鉄道会社側の腰は重く一向に設置してもらえなかった。

そこで、地元の地主である「松田英治郎」という人物が、このままではいけないと考え、対策を取らない鉄道会社への当てつけの為に九州の人形師に等身大の二体の幽霊を作らせた。

そして松田さんは踏切に向かい、線路脇にそれをぶら下げた。さらに、幽霊人形と一緒に「つぎの番をまっています」と書いた看板まで立てたそうです。

この踏切を通るたびに、二体の幽霊の人形はゆらゆらと揺れ不気味だったという。

効果は絶大で、事故は激減。運転手達からの苦情もあり、鉄道会社もようやく折れて、翌年には報機と遮断機が設置され、二体の幽霊人形はお役御免となった。

千葉県流山市西初石6丁目187−247

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