「皆殺しの館跡」と呼ばれるようになったのは、昔ある家族が住んでいたがある日突然気が狂った父親が妻と子供を日本刀で惨殺し最後は自らの命をも絶ったと言われている。父親が狂った理由として麻薬中毒だったという話しも有るようだ。
事件後、廃屋となり高速道路工事のために残っていた家屋を解体しようしたところ不可解な事故や変死する者が現れ、祟りや呪い、霊的な仕業ではないかと囁かれるようになり取り壊さずに迂回するように高速道路が作られたと言われている。
まだ建物が有った当時は、家の中に入ったり表札の名前を口に出して読むと呪われる、不可解な声が聞こえたり人影が見えたりしたという。
そして、寺の中にはお経らしきものが書かれた障子が残されていたり、髪の毛の束が落ちていたり、台所で首吊り自殺をした老婆の死体が見つかったとう噂もある。
その後、火事により建物は無くなったもののいまだに無数の霊がいまだに彷徨っていると言われている。
皆殺しの館の基本情報
「皆殺しの館」と言われているがもともと寺院が有った場所で正式には「成合寺(じょうごうじ)」という。
1688年(元禄元年)江戸時代の創建、曹洞宗永平寺末で、山号は普陀巌山、本尊は釈迦如来像。後に、泉州佐野の豪商飯野氏が愚白和尚を開山として再建された。
1977年(昭和52年)には無住となり、檀家もなく荒れ果てた状態となっていたという。
2001年(平成13年)不審火により焼失
大阪府泉南郡熊取町野田(大字)65−1
- 2022年(令和4年)7/21(木) 日本全国 最恐心霊スポット完全ガイド