池が出来た当時に子供が溺れるという事故が相次ぎ子供の霊が出るようになったと言われている。また、女性の自殺した遺体が引き上げられたり他殺体もよく発見されていた事から亡くなった女性の霊も出ると言われている。
この池で死んだ者は、藻が絡まって死体が上がってこないと言われており、稀に死体が上がってくるという話しや、池の周りを1周すると不幸になる、という話しも有るようだ。
一部ではバラバラ殺人事件があったなどと言われているようだがガセネタのようだ。
散在ガ池の基本情報
1869年(明治2年)当時この地域を統轄していた小菅谷の代官梅澤与次右エ門が、農地などに水を供給するために灌漑用水池を築造した。
「散在の山中にある池」ということで、「散在ヶ池」「散在ガ池」と言われるようになり、別名「鎌倉湖」とも言われている。
池を中心に森林を生かした散策路がある「散在ガ池森林公園」になっており、サクラの名所としても知られれている。
神奈川県鎌倉市今泉台7丁目1
以前今泉に住む人から聞いた話によると昔、農地水田に水を引くためたびたび農民同士の水争いというのが起き、村同士の争いに発展して多くの人が死んだそうです。灌漑用水池の建設の背後にはそういう悲しい現実があったようです。当時は周辺から湧き出る僅かな水をいくつかの農家で分け合っていたそうで日照りの度に争いがおきたそうです。