1963年(昭和38年)9月10日強盗殺人の老婆のすすり泣く霊が出るとの噂がある。また、1973年(昭和48年)大学教授が教え子と不倫関係にあり、教え子を殺して埋めた現場も現場も近くにある。
道了堂跡とは東京都八王子市鑓水の大塚山公園内にある絹の道に関係する文化財。
1874年(明治7年)に鑓水商人が浅草花川戸から道了尊を勧請したことが始まり。
1875年(明治8年)には道了堂(永泉寺の別院)が建立され絹の道の中継地として栄えた。
道了堂跡で起きた事件
強盗殺人事件
1963年(昭和38年)9月10日
道了堂を管理していた当時82歳の老婆が強盗により殺害された。
教え子を殺し一家心中
1973年(昭和48年)
不倫関係にあった教え子を殺害後、一家心中
同鑓水内で発生した立教大学助教授の大場啓仁による不倫相手の教え子を殺害するという事件では鑓水板木の杜緑地に埋めた遺体の遺棄現場が近くでもある。
1973年(昭和48年)9月6日午前4時、伊豆半島南端の石廊崎に近い静岡県賀茂郡南伊豆町池野原の奥石廊崎展望台(愛逢岬)下の海岸で、子供を含む男女4人の遺体が釣り人により発見さた。
遺体は、豊島区南長崎3丁目のマンションに住む立教大学一般教育部助教授の大場啓仁(38歳)とその妻のJ子(33歳) および6歳と4歳の二人の幼い娘とわかった。
飛び降りた20メートル上の断崖には、「大変迷惑ですが、親子4人、この下の淵で投身自殺をしておりますので、お届け下さい」と、身元と現住所を明記した置き手紙が残されていた。自殺の原因は、大場が大学院英米文学科修士課程に所属する教え子のK子(24) との不倫関係清算に失敗し、彼女を殺害したことが発覚したためである。
大場は、八王子市鑓水の別荘(多摩美術大学東側、現在の日本聖公会聖ケネス教会)に誘った上で絞殺し、50メートル離れた崖下にある造成予定地の藪(現在の鑓水板木の杜緑地の外側)に埋めた。
洗濯用ロープにより両足で頭を抱え込むかたちで三重に縛られ50センチほど掘られた穴に無造作に埋められた、ミイラ化した無残な女性の遺体が1974年2月28日午後2時30分ごろ発見された。
道了堂跡に関するメディア
ほんとにあった!呪いのビデオ 64
東京都八王子市鑓水
- 2017年(平成29年)11月23日(木)※注 芸人調べ 心霊スポット巡礼ツアー(寺跡)
- 2022年(令和4年)7/21(木) 日本全国 最恐心霊スポット完全ガイド