1937年(昭和12年)「日下温泉」だった建物が改築され結核療養施設「孔舎衙(くさか)健康道場」という名称で結核病棟として利用された。
患者の中には自分の死期を悟り自ら命を絶った者もおり、いまだに池のほとりを自殺者の霊が彷徨っていると言われている。
日下新池の基本情報
1914年(大正3年)7月17日、「日下駅(くさかえき)」として開業。
1915年(大正4年)に「日下遊園地」を開設。「日下温泉」と料亭旅館の「銀水」、東側にも料亭旅館の「永楽館」が建てられた。
1918年(大正7年)「日下駅」から「鷲尾駅」へと改称。
1937年(昭和12年)「日下温泉」だった建物が改築され結核療養施設「孔舎衙(くさか)健康道場」と改名
1940年(昭和15年)6月「鷲尾駅」から「孔舎衛(くさえ)坂駅」と改称。
1942年(昭和17年)秋に「孔舎衙健康道場」閉鎖。わずか5年程しか稼働していなかったにもかかわらず、最盛期には100名近くもの患者を収容していた。
1946年(昭和21年)6月5日太宰治の書簡体形式の長編小説「パンドラの匣」の舞台とされる。「健康道場」という名の結核療養所を舞台に繰り広げられる恋愛模様を通じて、青年・ひばりの成長を描く。
現在、その跡地は「パンドラの丘」という名称で地元民の憩いの場となっている。
大阪府東大阪市日下町1丁目5−16