祟りの心霊スポット67 件掲載
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泣塔
鎌倉時代に合戦で死んだ武士たちの怨霊を供養するために、1356年(文和5年)2月20日に周辺の住民によって建てられたと考えられている。
泣塔が建つ土地を所有した者は貧乏になる、泣塔を見た者が後日幽霊と遭遇したり、祟りに遭う等と昔から言われている。
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下飯田稲荷(コンコン神社)
悪ふざけをすると祟られる、七つある鳥居をくぐると呪われるという噂があり、ここに訪れた人が翌日に亡くなったという話しまであるようだ。
2007年頃に池で殺人事件が起きたという噂や、境内で多数の自殺者が居るとの噂も有るようだ。そういった事から肝試しする者が多く、鳥居に「悪ふざけで入らないでください」と紙が一時期貼って有ったほどだったという。
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新田さん家
ここは以前に、一家心中があり廃屋となったと言われており、多くの解体業者が解体を試みたが不吉な事が度々起こりそのまま解体できずにいるそうだ。
夜中になると、お坊さんと思われる「読経」が聞こえてきたり、鈴の音や子供の声が聞こえてくるという噂や、中に入れないものの入り口で写真を撮ったら顔のようなものが映ったという話や、オーブが映ったという事も有るそうだ。
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オチョバンバ
「オチヨばんば」と呼ばれた老婆がこの地で不幸な死を遂げ、地元の人がお千代さんを供養するために碑を建てたのだという。
石碑は小さいが、お千代さんの怨念が宿り危険だとされ、柵と塀で囲まれている。そして、その石碑は絶対に触ってはいけないと言われており、触ったり罰当たりな事をすると必ず祟られると言われている。
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オレンジハウス
1982年(昭和57年)頃に、ここに暮らしていた家族が一家心中した。その後、業者が取り壊そうとしたがトラブルが続出したり次々と謎の死を遂げたと言われ、祟りを恐れて取り壊されること無く残っているという。
なぜオレンジハウスと呼ばれているのかは当時は木造2階建ての建物で屋根がオレンジ色で珍しい事からそう呼ばれていたようだ。
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正一位石倉稲荷神社(ビビリ神社)
神社には大きな岩があり、帰りにその岩を見ると災いが降りかかるという噂や、狐に化かされる、老婆の霊が現れる、鳥居の上あたりでゆらゆらと浮遊する生首が現れる、気分が悪くなる、車に手形が付くなどなどいくつも噂されている。
心霊現象がいくつも噂されていて遊び半分で行くと呪われると言われており、肝試しに訪れた帰りに事故を起こした人も居るようだ。
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岸岳城跡地(鬼子岳城)
岸岳城はかつて豊臣秀吉に滅ぼされた北波多一族の城があった場所で、昔から地元では北波多一族の祟りを岸岳末孫(きしたけばっそん)と呼び、恐れられている。
山腹には無念に思った波多氏の家臣百人が腹を切った集団墓地もある事から、波多氏の家臣の怨霊が現れるとも言われているそうだ。
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浜宿海岸
1982年(昭和57年)に1月、4月、5月と立て続けに焼身自殺が起きており、その自殺者は全員44歳だだったという不可解な事件が起きている。それ以降、霊を目撃するドライバーが増え始め、人の泣き声が聞こえるという心霊現象も起きているのだという。
他に、入り口にある龍神様の鳥居を撤去しようとしたら祟られたという噂もある。霊の噂が絶えずついには地図から消えてしまったという。
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東片端の大楠
木を切ろうとした関係者が死亡すると言うのが何件かあったと噂があり、この木を切ろうとすると祟られると噂されるようになった。
また、車が運転を誤ってこの楠木に突っ込んだが折れることも枯れることもなく不思議と生き残ったという話がや、昔は処刑場が有りさらし首場だったという噂も有るようだ。
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東京競馬場 第三コーナー
有名な東京競馬場だが、第三コーナーにある不自然に生えているケヤキの木周辺で心霊現象と思われる事故が多発している。
第三コーナーでの事故では、1983年(昭和58年)には競走馬5頭が同時に骨折という事故も起きたそうだ。このケヤキの木には戦国武将の井田是政の怨念が宿っていると言われている。
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越木岩神社の甑岩
その昔、大阪城の石垣を築くためにこの岩を切り出そうとした石工職人の身に不幸な事故が相次いだと言い伝えられている。その後、御神体として祭られようになった。
苦楽園口駅からも徒歩 約8分ほどの越木岩神社の本堂裏に回ると、不思議な空気とともにそこに鎮座する「甑岩」がある。
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菅生の滝
夜に女性の霊が現れるという噂から、滝の流れに人の姿が浮かび上がる、心霊写真が撮れると言われている。また、ふざけて行くとこの滝の伝説にもなっている白い大蛇の祟りに遭うとも言われている
周辺にはたくさんの水子供養の地蔵があり、深夜に行くと途端に異様な不気味が漂っている。
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お綱門
1630年(寛永7年)夫に嫉妬をもやして逆上し斬ろうとしたが本宅にいた浅野彦五郎に斬りつけられて、この門で力尽きたという話があり、そのお綱にまつわる祟り話が残されている。
お綱の亭主の浅野四郎左衛門は、お綱が死んだ翌日から原因不明の熱病にかかる。お綱の命日が寛1630年(寛永7年)3月3日であるが、その約1年後の1631年(寛永8年)2月19日に、四郎左衛門は亡くなっている。
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3本のイチョウの木
県道73号線上に3本のイチョウの木があり、この大木を伐採しようとしたところ携わった人が事故で亡くなったり、その家族全員も交通事故に遭うなどして祟りは身内にまで及んだと言われている。
1917年(大正6年)までこの大木付近に「扇天満宮」があって御神木として大切にされてきた経緯がある。
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泣く木
1970年(昭和45年)8月22日まで存在したハルニレの巨木である。伐採しようとすれば「泣き声」を立て、作業員に不幸が降りかかる呪いの木とされていた。
1932年(昭和7年)河畔の崖と夕張川の間を通る国道の拡張・直線化の計画が持ち上がり工事の障害となるこのハルニレの巨木を伐採しようと作業員が鋸で挽き始めたところ、木は「キューキュー」「キューヒー」「ヒーヒー」と泣き声を上げると同時に、鋸が折れて使い物にならなくなったという。
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花見潟墓地
深夜の丑三つ時(午前2時前後)頃に何かを探し求める様に徘徊する老婆の霊現れると言われており、この老婆の姿を目撃すると呪われて不幸が起きると言われている。
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言問の松
推定樹齢1200年の、この松の木は切ると祟りが起きると言われている。年1909年(明治42年)の春、秋田より入植した開拓者が木を何度も切り倒そうとしたが、怪我をしたり、病に倒れたりして木は切ることができなかったという。
長寿への願いが込められもおり、少しでも木への負担が軽くなるようにと風除けのためのネットが張られている。
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本山の一本杉
日立市にある、県道36号線に道の真ん中の位置に生えている一本杉で樹齢は約450年で、工事会社の人が杉を切った(もしくは切ろうとした)人が大怪我をしたり、原因不明の病、事故で死んでしまったり等してから災いが起こると言われている。
昔は2本杉(3本杉であったという噂もある)であったが、倒木や工事でそれらは無くなったという噂が有る様だが詳細は不明。
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母子の墓
愛しき吾子の頭に鍬を振り下ろして殺し、吹き出す鮮血を口に含んで天に向かって吐き、『保瀬は野となれ、山となれ。我死後50年にして保瀬を潰滅させる。そして100年は人が住めぬ様にしてやる。』
吾子の遺体を抱いて入水自殺を遂げた凄まじいお杉の怨念と命を賭けた復讐計画は。保瀬部落を潰滅させたと言われている。
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呼塚交差点
かつてこの地は霊園があったのを交差点にしたから祟りで事故が多発していると言われており、
右折車が道路横断中の自転車との衝突事故や、停止中の車に追突する事故が多く、前方や左右の確認不足が原因の事故が多く発生しているという。ここで事故が起こした者の多くは「白い服を着た女性に気を取られていたら事故をしてしまった」と証言しているのだという。