処刑場跡地の心霊スポット54 件掲載

主に江戸時代や戦国時代の処刑場での噂が多く、首のない霊や、首だけの霊の出現が有る。

また、刑務所が出来た時期になると、処刑された人の霊が彷徨うようになった。

  • 首切峠

    首切峠と名が付いたのは諸説あるが、少なからず人が何人も死んだ場所には変わりない。

    心霊スポットとして余り噂にはなっていないようだが、うなり声のような声が聞こえて来たという人も居る様だ。 詳細を見る

  • 大和田処刑場跡

    嘗て、江戸時代には多摩地方最大級の罪人の処刑場となっていた。昭和に入り製紙工場や商業施設、マンションなどが建設されたが自殺が相次いだという。

    その為、処刑された罪人を供養するために慰霊碑が建てられ自殺や不可解な出来事は治まったという。その後、ホテルや学生寮が建てられ、慰霊碑も撤去されてしまった。
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  • おかりや様

    昔そこは処刑場だったと言われており、死んでいった罪人を供養するための慰霊碑だとされる通称「かりさま(おかりや様)」と言うのが建てられている。

    この「おかりや様」に失礼な事や粗末に扱うと祟られると言われており、指をさした人が指を骨折した蹴った人が足を骨折した唾を吐きかけた人が口中口内炎になったなど怪我をする学生が多いという。
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  • 取上処刑場跡

    弘前市取上にある処刑場跡地で、「取上」という地名は刑に処した首を取り上げることからその名が付いたと言われている。

    処刑された人々の冥福を祈るために、地蔵堂・弘法大師堂が建てられている。

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  • 大財公園

    深夜に公園内で生首が浮遊しているのを見たという人や、車で公園の前を通過中に急にエンジンが止まるなどの噂があるようだ。

    江戸時代初期頃は処刑場として利用されていた。そして、明治以降から昭和にかけて「佐賀市火葬場」として利用されていた。多くの命が失われた場所として「鎮魂碑」も設置してある。

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  • 八乙女駅前交差点

    仙台市にある市営地下鉄南北線の「八乙女駅」の前にある「八乙女駅前交差点」は信号機も設置してあるにもかかわらず、なぜか以前から交通事故が多発していた。

    事態を重く見た仙台市が周辺を調査をしたところ、この場所は昔処刑場であった曰くつきの場所であることが判明したのだという。

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  • 篠崎公園

    首吊り自殺者が多いという噂や、焼身自殺も起きたとの噂や、野球場のライトの場所で首吊り自殺が有ったと囁かれている。

    また、昔は処刑場が有ったという話や戦争で亡くなった遺体を焼く火葬場があったと言われており、年配や不動産屋などもそれを認知しているとの噂だ。
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  • 旧千駄ヶ崎隧道(お化けトンネル)

    千駄ヶ崎隧道は、1926年(大正15年)竣工したトンネルで、不気味な雰囲気で男性の霊が出る事から通称「お化けトンネル」とも呼ばれている。

    辺りには「千駄ヶ崎砲台」のあった場所で砲弾なども運ばれていた事からトンネルに出る霊は旧日本兵の亡霊ではないかと言われている。

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  • 六角獄舎 首洗井

    閑静な住宅街の一角に幕末の混乱の中、井伊直弼の安政の大獄による政治犯や過激な尊皇攘夷派志士らが多く捕らえられて処刑された事でも知られている。

    主に、心霊スポットとして言われているのは斬首した刀を洗った「首洗井」井戸の跡地で、首に痛みを感じたり、重くなったりするのだという。

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  • 渋井町緑地

    嘗ては「土壇場」と言われ、幕末時代に斬首刑された罪人の躯を埋葬された土地中には遺体で刀の試し切りしていたという事もあったそうだ。

    そんな処刑された罪人達の首の無い幽霊が出現することがあるという。

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  • 浦賀燈明堂

    燈明堂付近では、江戸時代には「久里浜処刑場」としての海運関係の首切り場だった場所となっており、江戸時代は冤罪の制度が無く何人もの罪人が首をはねられたと言い伝えられている。

    無念に命を落とした罪人の怨霊を鎮めるために地蔵供養碑が立ち並んでおり、死んでいった罪人の霊の目撃が多いと言われている。
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  • 鳥取藩処刑場跡

    処刑者の最も多かった年は1740年(元文5年)の19名で、元文百姓一揆の指導者達だったという。そのうちの12名は8月に処刑された

    「首切り地蔵」があり、1740年(元文5年)の題目石と1625年(寛永2年)の南無阿弥陀仏の石碑が立っている。

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  • 首切り坂

    旧一条中学校の北にある緩やかな坂は江戸時代に処刑場で、その昔にはそこに池があり処刑された罪人の血が大量に流れ込んだと言われている。

    ここで、転ぶと半年以内に死亡するという噂や、女性の霊が出るという噂、奇怪な音が聞こえてくるという噂があり、ここに訪れた者は災いが降り掛かると言われている。
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  • Whaley ‘the gallows’ House

    アメリカで「最も呪われている家の一つ」といわれ、幽霊屋敷としてアメリカ政府も認めている。

    始まりは、1857年8月22日に「トーマス・ホエーリー」という実業家が自宅を建て引っ越したが、その場所は昔、処刑場だった。

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  • 小浜山処刑場跡

    江戸時代に罪人が首を落とされ晒し首にされていた場所でもあった事から、夜にゆらゆらと浮遊する生首や、首の無い着物姿の幽霊の目撃が有るようだ。

    刑場は江戸時代1759年(宝暦9年)、韮山代官所に併合後も幕末に至るまでそのまま使用され、その後は葬祭場ができるまで火葬場としてその姿をとどめていた。

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  • しおき場

    妙見山にある「しおき場」は関西最恐心霊スポットとしての呼び声が高く、一帯は戦国時代のころ罪人の首を落とす処刑場だったそうだ。

    その為「生首谷」「地獄谷」といった名前で呼ばれいたという。首の無い霊が出没するという話が多いが、ここで起こる心霊現象は多岐にわたる。 詳細を見る

  • 小塚原刑場跡

    この周辺では様々な心霊現象が起きていると言われている。小塚原刑場は、江戸期の1651年(慶安4年)から幕府が滅びるまでの約220年の間に、夥しい量の罪人の屍が敷地の至るところに無造作に埋められ続けてきた

    年間1,000人もの死刑され、廃止になるまでに20万人もの人が死刑になったとされている。 詳細を見る

  • 福岡藩刑場跡

    この地に福岡県知事公舎があった昭和初めの頃に僧侶の幽霊が出るという噂が広がった。

    調べたところ江戸時代に空誉上人が処刑されていたことが分かり、福岡県知事は空誉上人の霊を鎮めるために知事公舎の拷問が行われたと言われている庭の一角に祠を建てて供養した。 詳細を見る

  • 江原刑場跡

    旧佐倉藩の刑場で処刑されその遺体を切り刻まれ研究されていた。ここでは罪人の霊が出ると言われている。

    以前は首洗い井戸があったが無くなっており、ここも霊が出ると言われている。

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  • 首切り地蔵

    かつてこの地には処刑場があり、宇都宮城主の本多正純が幕府の監視役が100人以上を処刑したと伝えられている。過去に、処刑された罪人の遺骨が掘り起こされたという事があったそうだ。

    夜にはオーブが目撃されたり、白沢街道沿いでは交通事故が起きるとも言われており、周辺では不審火による火災も起きていると言われている。
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