旧日見トンネル(正式名称:日見隧道)

学生のカップルがバイクで二人乗りしてこの「旧日見トンネル」を走行中に、トラックのと衝突する事故が起きた。男性はトラックの荷台に飛ばされ無事だったが、後ろに乗っていた女性の身体が腰から半分に真っ二つになり即死してしまったという。

その事故以降に、上半身だけの学生服姿の女性が追いかけてくる、下半身を探す女性の幽霊が現れる、旧日見トンネルをバイクで通過していると上半身の女性が現れてバイク乗りを襲うと言われています

体験談によると、旧日見トンネルをバイクで走行していると急に後部座席が重くなり、ミラーを覗き込むと上半身だけで青白い顔をした女性の亡霊が乗っていた、上半身だけになった女性の霊が猛スピードで這いずりながら追いかけてくるという話しも有ります。

トンネルの入り口や内部では、どこからか女性の悲鳴や苦しげな声が聞こえてくるという話しも有ります。こういった噂から夜にここを通らないようにしているライダーも居るそうです。

実際に日常的に利用している地元の方々からは、「何度も通っているが何もない」「ただ少し古くて道幅の狭いトンネル」「毎日通勤で通っているが完全なガセ」「そんな大事故は起きていない」という声も多く聞かれます。

もし近代化遺産や歴史的建造物として興味があって訪れる場合でも、道幅が狭く車通りがある場所ですので、肝試し目的で道路の真ん中に居座るなど、安全や近隣への迷惑になる行為には十分にお気をつけください。

下半身のない亡霊は他にも

1970年代〜1990年代にかけて、全国の小中学生や若者の間で「テケテケ」や「カシマさん」「ターボババア」といった「身体の一部がない怪異が高速で追ってくる都市伝説」が大流行しました。

「旧日見トンネル」でも「バイク事故で二人乗りの女性が上下に分断された」という欠損の背景となる事故ストーリーがセットで語られている点が共通しています。

これがローカライズ(地域化)される過程で、「長崎で一番古くて不気味な旧日見トンネル」や「当時のバイクブーム・事故」という地元特有の舞台装置と結びつきにより

「テケテケのような上半身だけの霊」+「バイク事故の悲劇」+「高速追撃(ターボババア要素)」

として再構築されて全国や地元に定着したものと考えられます。しかし「旧日見トンネルの噂はテケテケから生まれたのか?」という疑問も有りますが、現時点では、テケテケが元になったと断定できる資料はありません。

テケテケ

下半身が欠損した女性の上半身だけの姿で、両肘を使い「テケ、テケ、テケ」と音を立てて時速100km超の猛スピードで追いかけてくる、妖怪・怪異です。

夕暮れ時や夜間の学校(女子生徒のテケテケが現れるという話も有ります)や駅周辺に現れ、一度見ると追いかけられて3日以内に必ず捕まり、鎌や鋭い爪などで体を切り裂かれ、下半身をもぎ取られて死ぬと言います。

「テケテケ」という名前は、腕で地面を叩きながら進むときの 「テケテケテケ」という音から来たと言われています。

テケテケが生まれた背景

ある女性が 列車事故で体が真っ二つになり上半身だけが生き残った状態で、寒い場所を自分の肘を使い這って移動したが強い怨念を残して死んだ事で「テケテケ」と音を立てて徘徊する怪異になったと言われています。

旧日見トンネルの基本情報

長崎県長崎市本河内町~芒塚町を結ぶ、大正時代に建設された歴史的な道路トンネルです。現在は長崎県道116号長崎芒塚インター線の一部で、国の登録有形文化財に指定されています。

日見峠は江戸時代の長崎街道における難所で、「西の箱根」と呼ばれました。勝海舟や坂本龍馬なども越えた急峻な峠で、旅人や参勤交代の行列にとって大きな障害でした。1996年(平成8年)には歴史国道に選定されています。

旧日見トンネルの歴史

2002(平成14年)2月14日、登録有形文化財に登録されました

1999年(平成11年)に国道34号日見バイパスとして新日見トンネルが開通(全長約1,055m)。これにより旧トンネルの交通量は大幅に減少し、旧道(県道)となりました。日見バイパスは令和3年に全線4車線化が完了しています。

1996年(平成8年)建設省(現・国土交通省)の「歴史国道」に選定されました。

1926年(大正15年)4月に開通:自動車の普及に対応するため、長崎県が国庫補助を受けて建設。完成当時、全長約640~642m、幅員約7.2~7.4mで日本最大規模の道路トンネルでした。

工事費は約42万4000円~47万7000円程度とされます。コンクリート造りで、石張アーチ環の馬蹄形坑口を持つ2車線仕様です。人や牛馬用の水飲み場も設けられていました。

大正中期の金額価値(米価や公務員初任給・労働賃金などを基準にすると、当時の1円は現在のおおよそ数百円〜2,000円前後、あるいはそれ以上の変動幅があります)からのおおまかな目安として、2026年(令和8年)時点では数億円規模(約4億円〜10億円前後など、品目や換算基準による)に相当すると推測されます。

昭和に入りモータリゼーションが進む中、長崎バイパス(昭和42年頃)ができるまで長崎への主要な動脈として重要な役割を果たしました。急カーブが大幅に減り、安全性が向上しました。

1924年(大正13年)3月23日着工

1882年(明治15年)日見新道が完成。峠を約33m切り下げ、人力車や荷車に対応した道となり、通行料を徴収した日本で初期の有料道路のひとつとされます。

長崎県長崎市本河内3丁目2

参考

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