明治時代のコレラの流行により多くの遺体が埋葬された場所でもありますが、この場所で噂されているのが第二次世界大戦の大東亜戦争末期1945年(昭和20年)7月4日の高知大空襲で悲惨な死に方をした人の霊が未だに成仏出来ずに苦しみながら彷徨っていると言われています。
夜になると森の奥から全身火傷を負って苦しそうな呻き声のようなものが聞こえてくる(場合によっては何人もの声が聞こえて来る)、全身が焼け爛れたような姿の人影が現れる、風が木々の間を通る音が泣いているような声に聞こえる。
背後に気配や足音が聞こえて来るが振り返っても誰もいない、写真を撮ると無数の白い手のようなものが写り込む(または焦げたような黒い腕が写る)とも言われています。
芋を掘っていると土中から骨のかけらの様なものがが見つかり、家に帰ると「返してくれ…」という声を聞いたという話しも有るようです。
現在は昼間にハイカーが行き交う自然豊かな尾根道(南嶺ハイキングコース)であり、恐怖体験よりも「地域の悲劇的な歴史を留める場所」としての性格が強くあります。
嘆きの森の基本情報
明治以降この一帯はコレラで亡くなった人々を埋葬した場所で、通称「コレラ墓」と呼ばれていました。江戸時代の1822(文政5年)年に日本で最初にコレラが流行し、明治時代には数年ごとに大流行を繰り返し、明治時代の45年間の死者は全国で約37万人に上りました。
1945年(昭和20年)7月4日大東亜戦争末期の未明に高知県高知市が受けた空襲(高知大空襲)で、米軍B-29爆撃機(約125機)による大規模空襲で、高知市街は焼夷弾で炎上。遺体は黒焦げになり誰のものともわからないものも多く、夏の暑さで蛆虫が沸き蠅が群がっていたそうです。
死者は公式で400人以上(資料により456人など)。身元不明の黒焦げ遺体が100体以上、鏡川河畔に並べられ、火葬されて北中山のコレラ墓付近に埋葬されました。
この出来事から「コレラ墓」「嘆きの森」と呼ばれるようになったとされます。
戦後、土地は市から払い下げられて私有地(芋畑など)となり、追悼の看板「嘆きの森」が立てられたもののすぐに土地所有者により撤去され、代りに「この土地は戦後すぐに高知市から払下げをうけイモ畑にしていた私有地です」と書かれた札が立っていたそうです。
こういった経緯が「二重の嘆き」として語られることも有るようです。
高知大空襲
第二次世界大戦の太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)7月4日未明に、高知県高知市が受けた大規模な空襲です。米軍による日本本土空襲の一環で、市街地を目標とした焼夷弾による無差別爆撃でした。高知市が受けた空襲の中で最大規模の被害を出しました。
午前1時52分~2時52分頃(約1時間)アメリカ陸軍航空軍第21爆撃集団・第73爆撃団所属のB-29爆撃機 125機(乗員約1,527名。先導機12機を含む)が焼夷弾合計 1,060.8米トン、M69ナパーム弾(E46クラスター):748.0米トン、M76・500ポンド大型ナパーム弾:312.8米トン、その他、照明弾20発などでの大規模攻撃が行われました。
死者401人、重傷者95人、軽傷194人、不明22人、被害人員合計712人
罹災人口40,737人
罹災面積約418.6万平方メートル
全焼壊家屋11,804戸
半焼壊家屋108戸
後年の調査では、姓名不詳を含め犠牲者は438人程度とされています。一部資料では「400人以上」「少なくとも456人」などと表現されることもあります。
第二次世界大戦
連合国・枢軸国および中立国の軍人・民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人とされる。8500万人とする統計もある。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者となった。
民間人の被害者数:3800万〜5500万(飢饉病気によるものは1300万〜2000万)。軍人の被害者数:2200万〜2500万(捕虜としての死者数も含む)。
第二次世界大戦の局面
1945年(昭和20年)8月 〜 9月「日本の降伏と終戦」8月6日・9日に広島・長崎へ原子爆弾が投下され、8月8日にソ連が対日参戦しました。日本は8月15日にポツダム宣言を受諾(終戦)、9月2日に戦艦ミズーリ号上で降伏文書に調印し、第二次世界大戦が完全に終結しました。
1945年(昭和20年)5月「ドイツの降伏」 ベルリンが陥落し、ヒトラーの自殺を経て、ドイツは連合国に無条件降伏しました。
1944年(昭和19年)6月6日「ノルマンディー上陸作戦」 米・英・加などの連合軍がフランス北部に大規模上陸し、ドイツは東西から挟撃される形となりました。
1943年(昭和18年)9月「イタリアの降伏」連合軍のイタリア本土上陸を受け、ムッソリーニ政権が崩壊してイタリアが降伏しました。
1942年(昭和17年) 〜 1943年(昭和18年)2月「スターリングラードの戦い」独ソ戦において、ソ連軍がドイツ軍に歴史的な勝利を収め、ヨーロッパ戦線でもドイツが劣勢に転じました。
1942年(昭和17年) 〜 1943年(昭和18年)2月「ガダルカナル島の戦い」連合軍が反撃に転じ、日本軍は補給難から撤退を余儀なくされ、守勢に回りました。
1942年(昭和17年)6月「ミッドウェー海戦」太平洋戦線において、アメリカ軍が日本の機動部隊(空母4隻)を撃破し、太平洋の主導権を握りました。
1941年(昭和16年)12月7日(日本時間12月8日)~1945年(昭和20年)9月2日終戦「太平洋戦争(アジア・太平洋戦線)」「大東亜戦争」日本がハワイ・真珠湾を攻撃して米英に宣戦布告し、が開戦しました。
1941年(昭和16年)6月、ドイツが不可侵条約を破ってソ連へ侵攻を開始し、独ソ戦が勃発しました。
1940年(昭和15年)9月「日独伊三国同盟」 ドイツ、イタリア、日本の3国で軍事同盟が結ばれ、枢軸国陣営が形成されました。
1940年(昭和15年)「ヨーロッパでの躍進」 ドイツは電撃戦でデンマーク、オランダ、ベルギーを制圧し、6月には強国であったフランスを降伏させました。
1939年(昭和14年)9月1日~1945年(昭和20年)8月15日(または9月2日)ドイツがポーランドに侵攻し、これに反発したイギリスとフランスがドイツに宣戦布告して戦争が始まりました。
高知県高知市幸崎75
参考資料
