メモリアルクロスと首なし地蔵

メモリアルクロスでは、深夜3時に十字架の近くで軍服を着た人影が見えた、「エイッ!エイッ!」といった軍隊のような掛け声が聞こえ、地面を踏み鳴らす規則的な足音が聞こえ始めた。音は徐々に近づいてきたので怖くなって、居なくなるまで声を潜めて時間が過ぎるのを待ったという人も居たそうです。

人によっては「自分のすぐ後ろをずっと誰かが憑いてきている気配を感じる」「背後から足音が近づいてくる」という体験を人も居ます。

少し離れた場所に「陸上自衛隊 富野分屯地」が有るのですが、1.5kmほど離れている為どんなに大声で叫んでもメモリアルクロスまで届くはずもなく、さらに声を聴いたというのが深夜で訓練などしていない時間帯だからあり得ないと言われています。

しかし、自衛隊の駐屯地や演習場、基地で行われる深夜の訓練(夜間訓練)は、時間を選ばずに発生する有事や災害派遣へ対応するためのの訓練も有るので一概に違うと言いきれない部分も有ります。

メモリアルクロス周辺では、戦時中に自決した人がいる、近年自殺した人がいる、赤ん坊の白骨遺体が見つかったなど、という話までありますが、実際のニュースなどは見つけられませんでした。

また、メモリアルクロスから墓地に繋がる下り坂の細い道には、釈迦の弟子500人をかたどったと言われている「五百羅漢」が有るのですが、ほとんどの地蔵には首の無い状態で鎮座しており通称「首なし地蔵」と言われています。

この「首無し地蔵」付近でも誰も居ないのに不気味な気配を感じたり、謎の赤い光が点滅していた、歩いていると突然「ついて来い」と男性の低い声が聞こえたのに周りに誰もいなかったという事も有ったそうです。

首無し事情の前で祈ると不幸が起きるという話しも有ります。

メモリアルクロスと首なし地蔵の噂はいつから?

インターネット普及以前の昭和の時代から、地元の若者や住民の間で「夜に行くと気味が悪い場所」「肝試しスポット」として語られていました。

「北九州を代表する有名心霊スポット」として全国的・一般的に知られるようになったのは、1990年代後半から2000年代にかけてです。

2000年前後に『2ちゃんねる(現5ちゃんねる)』のオカルト板や個人作製の「全国心霊スポット検索サイト」が全盛期を迎えると、地元のローカルな噂話が集約・明文化されました。「軍服の霊が出る」「首無しの地蔵が並んでいる」といった具体的な体験談や噂のフォーマットが定着したのもこの時期です。

2008年1月22日の「新・北九州の心霊・ミステリースポット」スレッドでは、「足立山の地蔵が沢山あるとこ、あそこはやばい。」という書き込みがあります。

さらに続けて、「地元の人にきいたんだが、昔、源平合戦のときに死んだ兵士の数だけあるらしい。しかも全部首が無い」という話が投稿されています。

2008年時点で既に、「大量の首なし石像」「昔死んだ兵士」「地元の人から聞いた」「足立山の怪談」という形になっています。

メモリアルクロス(国際連合軍記念十字架)の基本情報

足立公園の丘の上に立つ、高さ約20メートルの大きな白い十字架で、当時の戦闘機に良く使われていた素材といわれるジュラルミン製で作られています。正式名称は「UNITED NATIONS MEMORIAL CROSS(国際連合軍記念十字架)」といいます。

1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争において戦死した国連軍将兵の霊を慰めるため、1951年(昭和26年)に当時の駐留米軍小倉師団司令官らによって建設されました。

十字架の面は朝鮮半島の方向を向くように設置されています。その後、北九州市(当時は小倉市)に移管・整備されました。春には桜の名所として知られ、展望台からは小倉の市街地を一望することができます。

当初は丘の先端にあり市街地からもよく見えていましたが、宅地開発で足元が削られて倒壊の危険が生じたため、約50m後方に移設されました。現在は木々に囲まれ、先端部分しか見えにくい状態です。小さな展望台もあります。

首無し地蔵(五百羅漢)の基本情報

メモリアルクロスの近郊や山中の旧参道沿いに、頭部(首)が失われた石仏・地蔵群が存在し、これらは「首無し地蔵」や「首なし五百羅漢」などと呼ばれています。

1785年(天明5年)
小倉城下・京町二丁目の酒蔵業者だった新屋河村親子が、広寿山に五百羅漢建立を願い出る

1792年(寛政4年)
五百羅漢が完成。千巌和尚が開眼法要をしました。もともと狐山と呼ばれた岩山が、羅漢山と呼ばれるようになりました。「五百羅漢」とは、「釈迦の弟子500人」をかたどった石像群です。

広寿山福聚寺11代住職・千巌和尚が開眼供養

という由来が北九州市の資料に残っています。現在の五百羅漢は、ほとんどの像が首を失った状態になっています。

首がない理由についてははっきりとしておらず、幕末の長州との戦争で首を落とされた、明治初期の廃仏毀釈によって破壊された、骨董品として首だけ盗まれた、刀の試し斬りに使われたと諸説あるようです。

福岡県北九州市小倉北区小文字2丁目8

参考

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