江戸時代に処刑場だったため幾千もの斬首が行われ、重罪人の首が浜辺にさらされました。こういった背景から処刑された罪人や武士の霊や生首の幽霊が現れると言われています。
さらに生臭い血の匂いがして来たり、機械が誤作動を起こしたり、急に冷たい風が通り抜けて鳥肌が立つという話しも一部であるそうです。
霊感のない人でもここを訪れると何か嫌なものを感じたりすることも有るそうです。
獄門跡の基本情報
新潟県三島郡出雲崎町の「獄門跡」または「尼瀬獄門跡」は、江戸時代に出雲崎代官所が置かれた天領地における極刑の処刑場跡です。「獄門」とは、斬首した罪人の首を門や刑場にさらして見せしめとする刑罰を指します。
1616年(元和2年)に出雲崎は江戸幕府の直轄天領となり、佐渡の金銀を荷揚げする重要な港として栄えました。代官所とともに牢屋や極刑執行所が設けられました。
1808年(文化5年)代官所は何度か移転し、現在の尼瀬の場所へ移った際、処刑場も一緒に移転しました。この処刑場跡が獄門跡として残っています。
『遠い越佐の海』という書物には1783年(天明3年)の柿崎の米騒動の首謀者がここで処刑されたと記されています。戊辰戦争時に代官側が獄門帳(処刑者の数・氏名・罪名などを記した記録)などを処分したため、詳細な記録はほとんど残っていません。
脇を流れる小川は、斬首した罪人の首を洗ったことから「洗い川」と呼ばれます。
1783年(天明3年)に供養塔が建立とされ、地元の尼瀬町内の人々により、毎年9月1日にお地蔵様の前で「百万遍講(ひゃくまんべんこう)」という供養が行われ、霊を慰めています。
百万遍講(ひゃくまんべんこう)とは、阿弥陀如来の名号(「南無阿弥陀仏」)を100万回唱える「百万遍念仏」を、地域や信仰の仲間(講中)で集まって行う行事、またはその講組織のことです。
新潟県三島郡出雲崎町尼瀬
参考
