湧ヶ淵

淵の周辺や橋の上で、女性の霊が現れるという噂があり、近づく人間を淵の底へ誘い込もうとする(引きずり込もうとする)と言われています。

湧ヶ淵に向けてカメラを構えたり記念撮影をしたりすると、写真にガイコツのような白いモヤが写り込む(水面に不可解なものが映る)という心霊写真の噂もあります。

深夜に訪れると遊歩道で後ろの方から「カツ、カツ、カツ・・・」というヒールを履いて歩いているような硬い足音が聞こえてき来るので振り返ってみると誰もおらず、冷たい風だけが体をすり抜けていく体験をした人も居るそうです。

夜の遊歩道や水辺に着物姿の女性が立っている。こちらを見つめ返すと、顔が徐々に崩れ落ちて骸骨のような笑みを浮かべる、という話。見た人は強い頭痛や吐き気を感じるとも言われます。

淵の水面をじっと見ていると、蛇のように長くうねる黒い影が浮かび上がるという話しも有ります。これは、討伐された大蛇の怨念が、美女の姿や骸骨、蛇の影として今も現れているのではないかという解釈で語られることがあるようです。

石手寺には、大蛇退治に使ったと伝わる石剣と、退治された大蛇の骨とされるものが伝わっています。2026年に報じられた愛媛大学の研究者による解説でも、この伝説が紹介されています。

そのため、現在の心霊話では、

大蛇伝説
↓
美女に化ける蛇
↓
女性の霊
↓
淵に現れる怪異

という連想で語られることがあります。

愛媛県の観光案内では、湧ヶ淵について「一部通行禁止」と明記されています。渓谷の岩場や水辺は危険があるため、立入禁止区域には入らないようにしてください。

湧ヶ淵(わきがふち)の基本情報

愛媛県松山市末町にある石手川上流の渓谷で、奥道後を代表する景勝地です。両岸には奇岩や怪石がそそり立ち、川幅が狭まった場所に深く淀んだ「淵」が形成されています。

水が渦を巻き、底から湧き上がるように見えることから「湧ヶ淵」という名が付けられました。春の桜や秋の紅葉など、四季折々の自然が楽しめる遊歩道や吊り橋も整備されています。

昔は湧ヶ淵に「金閣寺を模した建物」があり、その奥に一番淵・二番淵・三番淵があったという地元住民の証言が残っています。また、山の地すべりで建物が石手川に流れ、現在は土台が残るだけだという話も記録されています。

龍神伝説

日本の各地に大蛇や龍の伝説はありますが、湧ヶ淵の伝説は「夫婦の大蛇が別々の方法で退治された」という珍しい経緯と、現在も退治された大蛇の骨が実在しているという点で、非常に特異で生々しい伝承となっています。

昔、石手川の上流である湧ヶ淵には、巨大な雄と雌の大蛇が棲みつき、川を氾濫させたり人を丸呑みにしたりと、近隣の住民に多大な災いをもたらしていました。

村人たちの苦難を見かねたのが、四国霊場第51番札所として知られる古刹・石手寺(いしてじ)の僧侶です。僧は単身で淵へ向かい、寺の宝物であった「石剣(石の剣)」を用いて、激闘の末に雄の大蛇の首を斬り落としました。(落とされた雄の大蛇の頭骨と、退治に使われた石剣は、現在も石手寺の宝物館に保管・展示されています。)

和年間(1615〜1623年頃)になると、夜な夜な絶世の美女に化けて通行人をたぶらかし、深い淵の底へと引きずり込むようになりました。

そこで、湯山菊ヶ森城主・三好長門守秀吉の長男である蔵人の蔵三郎人)秀勝が退治を決意。淵のほとりに潜んでいたところ、美女が水上に現れました。

秀勝が鉄砲を撃つと、天地が鳴動するほどの大きな音とともにのたうち回る大蛇の姿が現れ、翌朝には大蛇の死骸が浮かんでいた(血の流れが三日三晩続いたという話もあります。)。それ以降、怪しい美女は現れなくなりました。

討ち取られた雌の大蛇の頭骨は、その後三好家で代々大切に保管されていましたが、現在は湧ヶ淵を敷地の一部に含む温泉宿(奥道後 壱湯の守)の敷地内にある「竜姫宮(りゅうきぐう)」に祀られています。今でも大蛇の魂を鎮めるための祭りが執り行われています。

夏目漱石も「蛇を斬った岩と聞けば淵寒し」と一句詠んでいる。

愛媛県松山市末町

参考

地域 : 四国地方 | 愛媛県
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著者: 管理人

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