黒焦げの姿の女の幽霊が現われると言われ、1967年(昭和42年)当時29歳の外交官の令嬢がガソリンをかけられて生きたまま焼殺されたという事件からこの世に未練や恨みがあり現れるのではないかと言われています。
また「夜釣りをしていると不気味な気配を感じた」という人は何人かいるそうです。水面から白い人影が現れ、手招きをする。近くにいる人を川に引き込もうとしているように感じられ、強い恐怖を覚えたという体験をした人も居るようです。
2014年の個人ブログには、調布取水堰付近で夏の夜に釣りをしていると、周囲に誰もいないのに「バチャ、バチャ、バチャ・・・」いう不自然な水音が近づいてくると、岸から10mほどの所で白い影が円を描く様に蠢いていたそうです。それを見て怖くなって逃げたという話しも有ります。
堰周辺は水流が穏やかに見えるものの、過去に水難事故が多発したとされ、「引き込み(川に引きずり込まれる)」として恐れられてきました。
調布取水堰の周辺は地元の一部で「オバケ川」や「幽霊滝」といった別名で呼ばれることがあり、昭和中期(1955年、昭和30年頃)〜後期(1975年、昭和50年代)には通称「多摩川ダム」とも呼ばれ、女性の霊が出る怪奇スポットとして知られていたようです。
調布取水堰で起きたとされる事件
2021年(令和3年)5月4日午後1時ごろ、川崎市中原区上丸子天神町の多摩川河川敷でバーベキューをしていた男性から、「友人の姿が見えない。溺れたんじゃないか」と110番通報があった。神奈川県警が付近を捜索したところ、約40分後に川の中から横浜市の会社員男性(20)を発見した。川崎市内の病院に搬送されたが、午後3時40分に死亡が確認された。
2020年(令和2年)4月16日 午前8時15分頃調査会社の作業員がアユの遡上調査を行うため、ボートに乗って多摩川の調査地点へ移動していました。しかし、調布取水堰の付近で何らかの原因によりボートが転覆し、調査員が川に投げ出される事態となりました。救急車で病院に搬送されましたが、死亡が確認されました。
1967年(昭和42年)に当時29歳の外交官の令嬢が、妻子持ちの交際相手に多摩川河川敷へ連れ出され、ガソリンをかけられて生きたまま焼殺された、という残酷な事件とされています。
1954年(昭和29年)7月16日のボート転覆事故です。高校生2人が堰の近くでボートを漕いでいたところ転覆し、1人が死亡した。
1954年(昭和29年)7月14日、三角関係のもつれから、男性と共犯の女性がもう一人の女性を殺害。遺体を多摩川に捨て自らも多摩川に入って心中を装った。
ここでの水難事故は多く、一部を掲載しています。
調布取水堰の基本情報
東京都大田区田園調布と川崎市中原区の間を流れる多摩川を完全にダムのようにせき止めるものではなく、川の水位を調節して、必要な水を取り入れるための施設です。東急東横線の多摩川橋梁の近にあり、東京都が管理しています。
多摩川の河口から約13.3km上流に位置します。名前に「調布」とありますが、調布市ではなく、大田区側の田園調布にある堰です。
調布取水堰では、多摩川の水を取水口から取り入れ、浄水場へ送っていました。かつては調布浄水場や玉川浄水場で浄化され、周辺地域の水道水として利用されていました。
多摩川の主な堰(下流から順に調布取水堰、二ヶ領宿河原堰、二ヶ領上河原堰など)のひとつで、国土交通省京浜河川事務所の資料などでも紹介されています。
調布取水堰の歴史
2026年(令和8年)現在はある程度水質は改善されたものの工業用水の取水に利用されています。
2007年(平成19年)多摩川の水質改善に伴い、天然アユの遡上が増えています。東京湾で育った若アユが多摩川を遡上する際、最初に通過する大きな堰がここです。そのため、アユの遡上時期(主に3〜5月頃、または3月下旬〜6月下旬)には、可動堰を伏せて(倒して)水位差を小さくし、アユが通りやすいように配慮しています。
1970年(昭和45年)高度経済成長期に人口の急増に対して下水道の整備が追いつかず、未処理の生活排水や工場排水が流れ込んだことで水質が著しく悪化し、「死の川」と呼ばれ飲料水としての取水・供給を停止。
1936年(昭和11年)2月に民営の「玉川水道株式会社」によって建設され、その後東京市(現・東京都)に統合されました。飲料水供給を主な目的とし、防潮機能も持たせていました。多摩川から取水した原水を調布浄水場や玉川浄水場へ送り、周辺地域(大田区など)に上水を供給していました。
東京都大田区田園調布1丁目63−57 多摩川台公園(バス
参考
