戦時中の1941年、この一帯(隣接する田島岳など)には佐世保鎮守府を防衛するための高射砲陣地が置かれていました。現在も駐車場の北側などに円形の砲台跡が残っていることから、夜間に軍服や軍帽をかぶった男性の霊を見た、展望台の周囲に数十人の軍人がずらりと並んで佇んでいたといった証言が複数存在します。
夜景を眺めている際、展望台の下にある崖のほうから「ズズッ」と重く湿ったような、何かが這い上がってくるような音や荒い息づかいを聞いた人も居るようです。
静まり返った深夜の展望台で景色に気を取られていると、誰もいないはずの背後にふと人の気配を感じたり、誰もいないのに隣に誰かがいるような息づかいや気配を感じた、睨みつけるような鋭い視線を感じた、急な寒気や圧迫感に襲われたりするという話しもあります。
普段は美しい夜景スポットとして多くの観光客でにぎわう場所ですが、深夜になると周囲の街灯が少なくなり、静まり返った山頂の闇とコンクリート遺構のコントラストが独特の異世界感を醸し出します。こうした心理的不安や非日常的な雰囲気が、「軍人の霊を見た」「背後に気配を感じた」といった都市伝説や体験談を生み出す温床になっていると言われています。
弓張岳展望台の基本情報
弓張岳展望所は、1965(昭和40)年に佐世保市によって建設されました。西海国立公園の指定10周年を記念する事業の一環です。標高約364mの弓張岳山頂付近に在り佐世保市街地・佐世保港・九十九島を一望できる代表的な観光地で、西海国立公園内に位置します。
弓張岳(隣接する田島岳を含む)は、旧日本海軍の佐世保鎮守府を防衛するための重要な防空拠点であり、戦時中は「田島岳高射砲台」などの軍事施設が置かれていました。
防空施設や関連水路・基地設備等の建造工事には多くの民工や労働者が動員され、激しい労働環境や戦禍の中で命を落とした記録があります(周辺施設にはこれらの犠牲者を慰霊する「民工死者之碑」等も設置されています)。
春になると周辺の山々に桜が咲き乱れ、九十九島や佐世保市街の絶景とともに花見を楽しめる人気の桜スポットでも有ります。
弓張岳展望台の歴史
2004年(平成16年)8月一般財団法人日本夜景オフィスが選定する「日本夜景100選」に選ばれました。港・造船所・米海軍基地・市街地の灯りがオレンジ色に輝く幻想的な景色が楽しめます。日没後が特におすすめです。
1945年(昭和20年)6月29日、第二次世界大戦の「佐世保空襲」の際には、電測射撃を14回行い、計139発を発砲したと記録されています。
1944年(昭和19年)当初は8cm高角砲などが中心でしたがにB29爆撃機への対空能力を強化するため、最終的に98式10cm高角砲6門や国内初の対空射撃用レーダー(41号電探)が配備されました。
1938年(昭和13年)ごろ。高射砲2門、空中聴音機、探照灯などを配備し、防空施設として整備。
佐世保空襲
1945年(昭和20年)6月28日 23:50 〜 29日 02:00頃(約2時間)、アメリカ軍のB-29爆撃機による長崎県佐世保市への大規模な焼夷弾空襲です。佐世保は帝国海軍の重要軍港(佐世保鎮守府)があったため、標的となりました。
攻撃部隊・規模: アメリカ軍 B-29爆撃機 141機、投下弾薬: 約1,000〜1,200トンの焼夷弾(約16万〜20万個)、死者: 1,242人(大部分が民間人)、負傷者: 336人、被災者数: 60,734人(全人口の約27%)
焼失面積: 178万平方メートル(全市街地面積の約3分の1)、焼失家屋: 全焼12,037戸、半焼69戸
長崎県佐世保市小野町
参考
