この付近の海に身を投げ自らの命を絶つ人が居ると言われ、深夜0時過ぎに友人ら含めて3人で樺島灯台に訪れた帰りに急に何かが目の前を横切った。その時友人の一人は何かを払うような?煽るようなしぐさをしていたそうです。
その時、自分のやや左後ろに革靴を履いた足が懐中電灯に照らされて先の方だけ映し出された。その靴はサラリーマンが履くような革靴で、自分も含め誰一人として革靴を履いている人は居なかった。
あまりの恐怖に背筋が凍り付き友人の一人が「走れー!」と声と共に一目散に車へ乗り込んだ。全員パニックになりながらもなんとかエンジンを掛けることが出来、その場を離れることが出来たそうです。
車の中では先ほどあった事について話すと、革靴はその場にいた二人には見えていなかったそうです。さらに、何かを払うようなしぐさをしていたのは人の気配がしていて、掴もうと手を伸ばしても空を切っていたそうです。
さらにもう一人の友人曰く、駐車場で車のエンジンが掛からなくてパニックになっていた時にボンネットの上から運転席を覗き込む何かが居たそうです。結局、こんな体験をしてしまって怖くて朝の出勤時間までカラオケボックスで過ごしたどうです。
樺島灯台は観光スポットとして知られる一方で、海抜約100mの断崖に建つ立地から遺体が発見されることも有り「自殺の名所」としてのイメージがつき、それに関連した幽霊話が広がっているようです。
特に先ほどの話から樺島灯台を訪れた後、帰り道で後ろから何者かにつけられているような気配を感じるという体験談が多いようです。
更にこの辺りでは
樺島灯台付近での事故
2021年(令和3年)6月22日
灯台下の展望台付近で25歳の専門学校生が行方不明となり、後日遺体で発見された。(報道による裏付けは未確認)
2020年(令和2年)8月12日
樺島周辺で漁船が出港した後、船長が落水して溺死した。
2012年2月25日
樺島灯台の南西方で無人の船が漂流しているのが発見されました。船長の遺体は、樺島灯台から真方位256°・約7km付近の海上で発見され、死因は溺水とされました。
2005年(平成17年)11月27日
午後4時頃、釣りに出た男性(33歳)の妻から「夫と友人が帰らない」との通報が警察にあり、警察、海保等により捜索中の翌28日、付近の磯場に漂着しているこの男性が発見され、検視の結果、死因は溺死と判明した。
同行の男性(29歳)については、30日に警察ダイバーにより海底から発見された。
携帯電話の通話状況から事故の発生は27日の12時頃と推定され、事故当時、現場付近は西の風6m、波1m、うねり2mがあったが、状況から両名は釣り中に高波にさらわれたものと推定された。
発見時に1名は、フローティングベストを着用、もう1名の同ベストは磯場に漂着した状態で発見された。
樺島灯台の基本情報
長崎県長崎市の最南端・樺島(かばしま)の南端に立つ白いコンクリート造りの円形灯台です。1932年(昭和7年)7月1日に初点灯し、現在も天草灘・五島灘・東シナ海を航行する船舶の安全を守っています。
当初は野母崎(野母埼)の先端に計画されていましたが、有明海方面の船舶にとって標高の高い樺島が視界の障害になることがわかり、急遽樺島に変更されました。予算の都合で当初は「野母埼灯台」として点灯し、1953年(昭和28年)7月1日に現在の「樺島灯台」に改称されました。
灯台が有人施設だった時代には、職員が常駐して気象観測などの業務も担っていました。現在の資料館は、そのような灯台守の暮らしを知る手がかりにもなっています。
展望所からは東シナ海(五島灘・天草灘)の水平線が一望でき、夕刻には海に沈む美しい夕陽を眺めることができる絶好のビュースポットです。
春先には約100本の桜が周囲を淡いピンク色に染め上げ、夕暮れ時は五島灘に沈む夕日のスポットとしても人気です。
塗色・構造:白塔形(鉄筋コンクリート)
塔高:約15m(または約11.8m)
灯火標高(海面からの高さ):約126〜127m
灯質:単閃白光・毎20秒に1閃光
光達距離:約26海里(約48km)
樺島灯台の歴史
1993年(平成5年)旧灯台職員宿舎を活用した「樺島灯台資料館」が開館しました。
1988年(昭和63年)周辺が公園として整備されました。
1971年(昭和46年)無線監視による自動・無人化施設となり、灯台職員が常駐する時代が終わりました。
1953年(昭和28年)7月1日「野母埼灯台」から「樺島灯台」の名称に変更
1932年(昭和7年)「野母埼灯台」として点灯。長崎周辺の海域を航行する船にとって、重要な航路標識となりました。
1931年(昭和6年)に工事が始まり、翌年の点灯に向けて整備が進められました。
長崎県長崎市野母崎樺島町792
参考
