三増トンネル

トンネルが貫通する山塊には三増峠があり戦国時代の1569年(永禄12年)10月8日武田信玄軍と北条氏康軍が激戦を繰り広げた「三増峠の戦い」の古戦場でもある事からこの地で命を落とした落ち武者の霊が出ると言われている。

また、原因は不明だが、女性のすすり泣く声が聞こえてくるという話しもあるようだ。

三増トンネルの基本情報

「三増峠の戦い」は近年の研究により、この丘陵一帯ではなく、トンネル南側約1kmに所在する東名厚木カントリー倶楽部の辺りが主戦場ではないかとの説が有るようだ。

1990年代初頭、三増トンネルの北西側は急峻なカーブの連続であることから暴走行為を繰り返す走り屋の事故も多発し「三増事件」と称される走り屋同士の正面衝突により2名死亡、2名重症という事故も発生した。

神奈川県愛甲郡愛川町三増

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