1983年(昭和58年)遠足で訪れていた小学生が「日本海中部地震」によって13名の子供が波に浚われ命を落とした。誰もいない夜の海岸で子供達の笑い声が聞こえるなど子供の幽霊の目撃談が非常に多いという。
この津波で亡くなった児童の為に慰霊碑が建てられており、裏には犠牲になった13名の名前が刻まれている。
日本海中部地震
1983年05月26日
11時59分57秒に、秋田県能代市西方沖80 kmの地点で逆断層型で地震が発生した。地震の規模はマグネチュード7.7を記録した。
当時、日本海側で発生した最大級の地震であり、秋田県・青森県・山形県の日本海側で10 mを超える津波が押し寄せた。
死者104名に上り、そのうち100人が津波で亡くなり、家屋の全半壊3049棟、船舶沈没または流失706隻。被害総額は約518億円の被害に上った。
男鹿市の加茂青砂では、遠足で訪れていた北秋田郡合川町立合川南小学校の児童43人と教諭たちが津波に襲われた。
多くは漁船や付近の女性などに救出されたが、児童13人が死亡した。
秋田県男鹿市戸賀加茂青砂鴨
秋田県男鹿市戸賀加茂青砂鴨15
有名なんだ。地元だけどはじめて聞いた。