八王子城跡地

小田原北条氏最大の支城です。天正12年(1584)から天正15年(1587)頃に築いたと伝えられている。天正18年(1590)に豊臣秀吉の小田原攻めの際に上杉景勝・前田利家の軍勢に攻められ落城した。

小田原征伐の一環として1590年(天正18年)7月24日(旧暦6月23日)、八王子城は天下統一を進める豊臣秀吉の軍勢に加わった上杉景勝・前田利家・真田昌幸らの部隊1万5千人に攻められた。

当時、城主の氏照以下家臣は小田原本城に駆けつけており、八王子城内には、城代の横地監物吉信、家臣の狩野主善一庵、中山勘解由家範、近藤出羽守綱秀らわずかの将兵の他、領内から動員した農民・婦女子を主とする領民を加えた約3000人が立て籠ったに過ぎなかった。

豊臣側は前夜のうち霧をぬって主力が東正面の大手口(元八王子町)・北側の絡め手(下恩方町)の2方向より侵攻し、力攻めにより早朝には要害地区まで守備隊を追いやった。

その後は激戦となり1000人以上の死傷者を出し、一時攻撃の足が止まった。その後、絡め手側別働隊の奇襲が成功し、その日のうちに城を落とした。

氏照正室・比佐を初めとする城内の婦女子は自刃、あるいは御主殿の滝に身を投げ滝は三日三晩、血に染まったと言い伝えられている。城代の横地監物は落城前に檜原村に脱出したが、小河内村付近にて切腹している。

八王子城攻防戦を含む、この小田原征伐において北条氏は敗北し、城主の北条氏照は当主・北条氏政とともに切腹した。その後新領主となった徳川家康によって八王子城は廃城となった。

東京都八王子市元八王子町3丁目

 東京都八王子市元八王子町3丁目

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  2. 2022年(令和4年)7/21(木) 日本全国 最恐心霊スポット完全ガイド

地域 : 関東地方 | 東京都
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