いまだに1万人以上の戦死者の遺体が眠る場所。上陸が出来ないものの間違いなく東京では最怖の心霊スポットと言われる事も有る。
1945年(昭和20年)2月から3月にかけて行われた硫黄島の戦いで、日本軍は守備兵力20,933名のうち20,129名(軍属82名を含む)が戦死した。
捕虜となった人数は3月末までに200名、終戦までにあわせて1,023名であった。アメリカ軍は戦死6,821名、戦傷21,865名の損害を受けた。
硫黄島の戦いは、太平洋戦争後期の島嶼防衛戦において、アメリカ軍地上部隊の損害が日本軍の損害を上回った稀有な戦闘であったと同時に、アメリカが第二次大戦で最も人的損害を被った戦闘のひとつとなった。
日本側の戦死者約21,900人のうち遺骨が回収されたのは2008年(平成20年)3月時点で8,638人である。
いまだ1万人以上の遺体が眠っている。
現在は海上自衛隊と航空自衛隊の基地が置かれており、基地関係者以外の民間人の全島への立ち入りが制限されている。このため小笠原諸島に属しているが小笠原国立公園からは除外されている。
硫黄島は太平洋戦争の激戦地(硫黄島の戦い)として知られ、旧島民らの慰霊などのための上陸は例外として許される。
東京都小笠原村硫黄島
東京都小笠原村硫黄島