千本松原

肝試しに行った人達が霊に取り憑かれたという話や、行った帰りの道で事故を起こしたり高熱でうなされたという話や、自殺をしたい気分になって自ら命を絶つ者も居たと言われている。

幽霊が出ると言うよりは霊症があるという場所。

千本松原の基本情報

毎年氾濫による被害が多発していた木曽三川の分流工事を徳川幕府が薩摩藩に命じ、宝暦年間1753年12月~1755年5月に掛けて工事に当たった。

工事には40万両にも上る工事費用を捻出するため大坂豪商から借金を重ね、幕府へもたびたび専門職人の雇用許可を要請するも許可は下りず、工事のやり直しを命じられることがしばしばあった。

工事に派遣された薩摩藩士達の過労や伝染病による死亡が相次ぎ、また幕府に抗議して切腹する薩摩藩士達も続出した。この件に関して、平田は幕府との摩擦を回避するため、切腹した藩士たちを事故死として処理した。

薩摩藩は最終的に病死33名自殺者52名という多大な殉職者を出している。

分流工事は着工より1年3ヶ月ほどでようやく完成したが、平田靱負は藩への多大な負担の責任を取り自害、享年50だった。

岐阜県海津市海津町油島

地域 : 中部地方 | 岐阜県
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著者: 管理人

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