トンネルを掘るのに沢山の朝鮮人労働者が駆り出され、1913年(大正2年)1月26日(日)に作業中トンネル内で落盤事故が発生。生駒方面の出口から約700mのところで落盤。朝鮮人労働者が152名が生き埋めになり、20名が犠牲になった。
その後も何度かトンネル工事を行う度に、不可解な事故が多発。現在は、トンネル内への侵入は禁止になっており、大阪側坑口は厳重に管理されている。
旧生駒トンネルでの事件・事故
落盤事故
1913年(大正2年)01月26日
152名が生き埋めとなり、20名の犠牲者が出た。工事には朝鮮半島からの出稼ぎ労働者も従事しており、この事故で犠牲となった者がいた。
トンネル内で車両火災
1946年(昭和21年)4月16日
トンネル内で発生した車両火災で23名が死亡し75名が負傷した。
火災
1947年(昭和22年)
発生した火災では約40名が負傷した。
近鉄奈良線列車暴走追突事故
1948年(昭和23年)03月31日
急行列車がトンネル内を走行中に空気ブレーキ(直通ブレーキ)が破損。大阪平野に向かう下り勾配を暴走し、河内花園駅で先行の普通列車に追突、49名が死亡、282名が負傷する大惨事が発生した。
大阪府東大阪市日下町1丁目
大阪府東大阪市日下町1丁目9−17