羽田空港の鳥居(旧穴守稲荷神社の大鳥居)

1945年(昭和20年)9月第二次世界大戦で日本の敗北により終了した後にGHQが羽田を国際空港にする計画を立案し、この場所にあった数多くの神社を撤廃しはじめた。

しかし、他の拝殿や他の鳥居は撤廃できたものの大鳥居を取り壊そうすると不可解な事故が多数発生した

移転作業にロープをかけてジープ数台で倒そうとするとロープが切れ複数の作業員たちが負傷その後も事故や病気が相次いだという。

そこで、祟りを恐れ鳥居は解体ではなく移転という事でついに1999年(平成11年)2月4日今の場所に移転されたという。

鳥居は赤い事から「赤鳥居」と言われる事も有るそうだ。

第二次世界大戦

1939年(昭和14年)9月1日~1945年(昭和20年)8月15日(または9月2日)
連合国・枢軸国および中立国の軍人・民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人とされる。8500万人とする統計もある。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者となった。民間人の被害者数:3800万〜5500万(飢饉病気によるものは1300万〜2000万)。軍人の被害者数:2200万〜2500万。捕虜としての死者数も含む。

東京都大田区羽田空港

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