天保山公園

ここに在る松林で女性の幽霊が現れるという噂や、横を流れる甲突川で溺れる学生が目撃され、助けようと近づくとスーッと消えるという心霊現象が起きているそうだ。

天保山公園の上流にあった常盤遊廓(沖之村遊郭)の遊女が軍人とけ駆落ちして心中したという事や、1945(昭和20)年6月17日の鹿児島大空襲戦で多くの焼死体が流れ着いた、甲突川で学生が溺れて亡くなったという事もあったそうだ。

天保山公園の基本情報

天保年間(1830年~1844年)、島津斉興公が領主時代に、土砂を上げて海を埋め立てて造られこの時の埋立地を年号にちなんで天保山と名付けられた。

中華風の東屋を「共月亭」と言い、1982年(昭和57年)、鹿児島市が中華人民共和国の長沙市と友好都市となったのを記念して中国四大名亭のひとつ、愛晩亭をモデルに建てられた。

鹿児島県鹿児島市天保山町24

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