鶯谷トンネル

1941年12月7日~1945年9月2日の太平洋戦争の時には防空壕として使用されており、焼夷弾の攻撃によりトンネル入り口付近では多くの人が死んだという話が有るが、ここで噂されている心霊関連は太平洋戦争での犠牲者だけでは無いようだ。

  • トンネルの天井から白い人型のようなものが降りてきた。
  • 後ろの座席の方で何かの気配がしてバックミラーを見ると居るはずの無い知らない女性と目が合った。そして、次の瞬間には女性は消えていた。
  • トンネルの壁に男性の顔が浮かび上がった。
  • 一家4人が車で事故死した。

等と噂が有る様で、様々な霊が出ている様だ。

鶯谷トンネルの基本情報

金華山を貫通しているトンネルで1947年(昭和22年)に完成した。トンネル名の「鶯谷」は地名に由来する。

鶯谷トンネルの老朽化が激しくなったため、1972年(昭和47年)に鶯谷トンネルのすぐ南側に新鶯谷トンネルが開通し、鶯谷トンネルは下り専用、新鶯谷トンネルは上り専用となっている。

この鶯谷トンネルには歩道が設置してあるので、自転車や徒歩でも通過できる様になっている。

全長:646.0m、全幅:5.0m(車道3.5m 歩道1.5m)

岐阜県岐阜市上加納山4715−18

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