1152年(仁平2年)に比叡山延暦寺と三井寺との間に起きた法論の際、三井寺の僧徒によって襲撃され、寺は焼き討ちにあった。寺の建物は跡形もなく焼き尽くされ、和尚と2人の稚児(子供の修行僧)が死亡した。
この事件以降、寺に稚児の霊が出るようになったと言われる。人々は2人を供養するため1155年(久寿2年)に児神社を創建したという。しかし、現代でも稚児の霊が出ると噂されているようだ。
正式な名称は「大山峰 正福寺」と言い、通称「大山寺と言われている。
大山廃寺の基本情報
創建は7世紀後半と考えられている。一時は「西の比叡山延暦寺、東の大山寺」と称されるほど隆盛を極めたが、1152年(仁平2年)に比叡山延暦寺と三井寺との間に起きた法論の際、三井寺の僧徒によって襲撃され、寺は焼き討ちにあった。
建物は跡形もなく焼き尽くされ、和尚と2人の稚児(子供の修行僧)が死亡した。
以後、細々と続いていたが、15世紀中頃の室町時代に完全に廃絶した。
7世紀後半 – 創建
1152年(仁平2年) 三井寺の僧徒が正福寺を襲撃。寺が全焼。
1155年(久寿2年) 児神社創建
15世紀中頃 廃絶
1571年(元亀2年) 江岩寺創建
1928年(昭和3年) 発掘調査。塔の礎石や瓦片などが見つかる。
1929年(昭和4年)12月17日 国の史跡に指定
1974年(昭和49年)~1978年(昭和53年) 小牧市による本格調査。児神社で正福寺の平安時代と中世の建物跡が見つかる。これに合わせて史跡の範囲が拡大される。
愛知県小牧市大山411