佐々木盛綱が築城した磯部城、源平合戦で源氏方として働いた佐々木盛綱が鎌倉時代の1201年(建仁元年)に築城し、武田信玄軍との合戦で多くの死者が出たと言われています。
その為、死者の落ち武者の霊が出ると噂されています。夜間に人影や足音、不気味な気配などを感じると言った事や、現在は公園となっていますが、深く切られた空堀や土塁が残っており、夕暮れ時や夜間は非常に静まり返るため、不気味と感じる人がいるようです。
戦国時代に武田信玄の西上野侵攻の拠点となった歴史があるため、「かつての戦いで命を落とした武士が出るのではないか」という、城跡特有の想像からくる噂のようです。
磯部城跡(磯部城跡公園)の基本情報
中世の山城の面影を色濃く残す歴史スポットです。特に戦国時代の築城技術である横堀や土塁が非常によく残っていることで知られ、山城ファンにはたまらないところです。特に三の丸周辺には二重になった横堀があり、当時の防御力の高さがうかがえます。
伝承では鎌倉時代の1201年(正治3年)、鎌倉御家人の佐々木盛綱によって築かれたといわれています。
永禄5年(1562年)頃には、武田信玄によって西上野への進出拠点(繋ぎの城)として大規模に改修されたと考えられています。武田氏滅亡後は北条氏の影響下に入った可能性もありますが、詳細は謎に包まれています。
現在は桜の名所や見晴らしの良い散策コースとして地元の方に親しまれています。
横堀(よこぼり)
磯部城の横堀は、小規模な城跡にしては非常に深く、鋭く掘られているのが特徴です。堀の底に立つと、左右を高い土塁に囲まれ、外の世界が見えなくなります。
土塁(どるい)
敵の侵入を防ぐために土を堤防状に高く盛り上げた城郭の防御施設(土の壁)です。堀を掘った際の残土を利用して作られることが多く、セットで配置されることが一般的。弥生時代から見られ、中世から近世にかけての城郭でも、防御力向上や攻撃拠点として活用されました。
群馬県安中市鷺宮
