旧相首町屋敷刑場

1876年(明治9年)の幕末に「萩の乱」を起こして処刑された前原一誠ら7名が最期を迎えた悲劇の処刑場跡です。老朽化した門が残り、地元では強い怨念や処刑者の霊が彷徨う心霊スポットとして知られています。

心霊現象としては、門の近くで人影を見た、夜中に門の周辺から人の話し声やうめき声が聞こえる夜間に物音がする閉ざされて誰も入れないはずなのに中から人の気配を感じる、といった噂が語り継がれており、歴史的な処刑の悲惨さと相まって不気味な雰囲気を漂わせています。

他にも、刀を引きずるような音が聞こえる、夜になると複数人の話し声が聞こえ、酒宴を開いた武士たちの霊が今も集まっているという噂も有ります。

史跡として静かに訪れる人が多いようです。無許可の立ち入りや夜間探索は避け、歴史を尊重した態度で訪れるのが適切です。

明治維新の英雄たちの史跡を非常に美しく整備し、一大観光地としてアピールしています。しかし、この場所だけは住宅街の真ん中にぽつんと取り残され、案内看板や解説プレートが一切ありません。

崩れかけた土塀と、ツタが絡まり錆びた鉄板で補強された古い木門が、荒れるに任せてそのまま残されています。この周囲との異常なギャップが、訪れる人に強い不気味さを与えます。

旧相首町屋敷刑場の基本情報

1876年(明治9年)12月3日斬首を宣告された前原ら7人はここで最後の酒宴を開き、前原が大声で「ただいま冥土へ行く。なににしても勤王が第一だぜ」と別れを告げた後に首が刎ねられました。享年 43歳。

勤王(きんおう):君主である天皇のために忠義を尽くすことや、その政治運動を指す言葉 。

続いて、横山俊彦、佐世一清(一誠の実弟)、山田頴太郎(一誠の実弟)、有福旬允、小倉信一、河野義一も首を刎ねられました。

「旧相首町屋敷刑場 不浄の門」の「不浄の門」とは

死者・罪人・不浄なものを出すための裏門や忌門を指す一般的な呼称で、穢れ(けがれ)たものを運び出すためだけに専門に使われていた裏門です。

萩の乱

1876年(明治9年)10月28日頃から12月にかけて、山口県萩で起こった明治政府に対する不平士族の反乱です。西南戦争(1877年)の先駆けとなる一連の士族反乱の一つで、短期間で鎮圧されました。

前原一誠は約200~300人の同志とともに、旧藩校明倫館を本拠地として挙兵しました。当初は山口方面へ進み政府に意見を訴える計画でしたが、政府側が事前に動きを察知していたため計画は混乱します。

その後、萩市内や周辺で政府軍と交戦しましたが、広島鎮台の兵が出動、軍艦による支援、兵力・装備で政府軍が圧倒、という状況となり、反乱は短期間で鎮圧されました。前原は島根方面へ逃れましたが捕らえられました。

山口県萩市恵美須町

参考

地域 : 中国地方 | 山口県
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著者: 管理人

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